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国立博物館入口手前 葵のご紋
大徳川展

2007年10月10日〜12月2日
東京国立博物館

徳川将軍家、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家をはじめ、久能山・日光・尾張・紀州・水戸などの東照宮に伝えられてきた門外不出の品々および美術ほか歴史資料として貴重な宝物300余点が一堂に結集しました。(前期・後期で一部が展示替えあり) 展示は「将軍の威光」「格式の美」「姫君のみやび」の三部構成で、展覧会名に「大」とつくにふさわしい充実の展示内容で、連日大入り大盛況のようでした。

上野公園内の看板 上野公園内の看板
上野駅から会場まではたくさんの立看板が並んでいました。上野では他にもたくさんの美術展が開催されており、平日なのにかなりの人出でした。


金小札緋威具足
  徳川家康所用
金小札緋威中人具足
  徳川家康所用
金小札緋威童具足
  金松君所用
(彰考館徳川博物館蔵 )

時間をおいてもう一度来てみても、この金色に輝く鎧の前だけは人がいっぱい! 後ろの方から上半身を眺めて、あとは絵はがきで我慢することに、、。

  
 午後1時半頃、1日で最も混み合いそうな時間帯に見学を始めたせいもありますが、第1会場の「」はとても混雑していました。特に最初の鎧の展示コーナーは3列ぐらいになっていてすごい人気。列もなかなか進まないので、仕方がなく第一会場は飛ばして見て、後で戻ってくることにしました。しかし鎧の展示コーナーは相変わらずの混雑でした。
 これら最初の展示を見て思ったのですが、どの展示品もすごく保存状態が良くて、とても見応えがあります。金製のもの、銅製のものもそれぞれ光沢があって、武具としてでなく工芸品としても素晴しいと感じました。


第一部 将軍の威光

 徳川家康公を始めとした将軍家の品々のほかに、尾張、紀伊、水戸の御三家のゆかりの品なども展示され、それぞれ興味深いものでした。その中で、特に高い関心を集めていたのは、「水戸黄門」こと水戸光圀公の印籠や所用品。やはり黄門様の人気は衰えていないようです。印籠も展示されていましたが、これは儀式用の印籠だそうで、実際に黄門様が持ち歩いたようなものではないそうです。日本初だという鉛筆や光圀公所用の眼鏡などが興味深かったです。
 次の展示コーナーでは、肖像画や書画などの展示が中心でした。なかなか精悍できりっとした面差しの2代将軍・秀忠公の肖像画やちょっと素人ぽく感じた5代将軍・綱吉公の書などを興味深く見ることができました。
 その中で特に注目したのは、今回初めて展覧会に出品されたという「徳川家康坐像」。本人が気に入って自らの傍らに置いて話しかけていたそうですが、威厳に満ちあふれ堂々とした像で、芝東照宮のご神体となっているものだそうです。家康公関連では、征夷大将軍の宣旨なども展示されていました。


南蛮胴具足 《重文》
  徳川家康所用  (日光東照宮蔵)

 家康が部将らに与えたと伝わる4領の「南蛮胴具足」などを展示。南蛮胴具足のひとつには強度を試すために撃ったと言われる鉄砲の弾痕が生々しく残っています。
 特に、この赤をあしらった具足は、日本古来の鎧とは違った和洋折衷の雰囲気。丸みを帯びた美しい曲線と全体に施された繊細な模様は芸術的な美しさ。


白地葵紋付
  檜草花文辻ヶ花染羽織
  
 《重文》  (彰考館徳川博物館蔵 )

徳川家康から水戸徳川家初代の頼房に譲られた羽織。

 裾の方を浅葱色の山形に染め分け、忍ぶ草・なでしこ・紫陽花・雪持笹などが墨書きされている。上部は檜の若木を生やし、幹と葉を浅葱と萌黄の絞り染めとし、さらに墨書きで細かな表現が加えてある。



唐物肩衝茶入 初花

唐物肩衝茶入 
  銘 初花 (大名物)
 
 《重文》  (徳川記念財団蔵 )


桃山時代の茶書「山上宗二記」に、「新田」とともに天下三大茶入と記載されている大名物で、唐物としては古来から優れた逸品とされていたとか。

 「初花」という銘は足利義政という説もあるが、銘の由来は不明。


第二部 格式の美

 江戸時代の大名家は、家の格式にふさわしい諸道具を揃えたといいますが、その頂点に立つ将軍家のコレクションは絢爛豪華なだけでなく、様々な歴史に彩られた由緒ある美術品・工芸品ばかりです。
 特に、天下三名物といわれる茶入れのうち、「初花」「新田」の2点が同時に展示されたことが注目を集めました。天下三名物は桃山時代からその価値が認められ、時に一国一城に相当したといわれる名品ですが、残念ながらもう1点は失われているそうです。 小さいながらも存在感のある輝きがあると同時に、高い完成度を感じさせる名品です。信長、秀吉、家康という天下人たちに愛された変遷の歴史を感じながらじっくりと鑑賞しました。

 そして、もう一つ注目だったは、利久の竹茶杓「泪」。見かけはシンプルなお道具ですが、悲しいいわれを持った品です。
 秀吉から死を賜った利休は、自らこの竹茶杓を削って最後の茶会を催したそうです。その後、この竹茶杓は古田織部に与えられましたが、織部はこれが入る筒を作り位牌代わりに拝んだと言われています。そして、その後は、徳川家康の手に渡り、尾張徳川家の義直に受け継がれたという由緒ある竹茶杓です。

 そのほかにも、能面や能衣装、香道具など雅の世界の由緒ある品々が数多く展示され、どれもが本物だけが持つ輝きを放っていました。


漢作肩衝茶入 新田

漢作肩衝茶入 
  銘 新田 (大名物)
 
 《重美》 (彰考館徳川博物館蔵 )

「初花」とともに天下一の肩衝茶入とされた大名物の茶入。
 元は村田珠光の所有でしたが、織田信長に献上された後に、豊臣秀吉の手を経て、後に徳川家康の所有となる。大阪城落城の際に損壊し、家康の命により救い出されたとか。時の天下人の元を遍歴した由緒ある一品。後に水戸徳川家に下賜された。


「百蝶図」

百蝶図  円山応挙筆 
 
 (彰考館徳川博物館蔵 )

円山応挙は江戸中期に活躍した京都の絵師で、写生を重視した画家とされています。雪松画や雲龍画など大胆な構図で描かれた襖絵などが有名ですが、この作品はいろんな種類の蝶がイキイキと描かれていて可憐な雰囲気。


★大徳川展オフィシャルサイトの展示解説ページで、「徳川家康 征夷大将軍宣旨」、「水戸光圀公の印籠」「利休の竹茶杓」などの画像を見ることができます。
「源氏物語絵巻 橋姫」
■源氏物語絵巻 橋姫 
 《 国宝 》(徳川美術館蔵

源氏物語の現存最古の絵巻で、12世紀に宮廷を中心に制作された貴重なもの。かなり古いだけあって保存状態はかなり厳しいかんじ。今回は「柏木一」「橋姫」「東屋一」の順で展示替えされました


第三部 格式の美

江戸幕府を開いて武家社会の頂点に立った徳川家は、他の大名家とは一線を画した格式を維持するため、正室を皇室や公家最高の家柄である五摂家から迎えました。そして、将軍家や御三家では、家柄や権勢を示すため、膨大な費用を惜しみなく注いで豪華な調度を誂えました。
 展示されていたのは、格調の高い品々ばかりでしたが、特に目を引いたのは、十数点展示されていた3代将軍家光の長女・千代姫の婚礼道具。純金に繊細な細工を施された品々はまばゆいばかりの重厚な輝きを発し、ため息の連続でした。画像では「貝桶」のみを紹介していますが、円幸阿弥長重の作品がいくつか出品されていました。きっと当時を代表する名工だったのでしょうね。
 その他にも、内と外に豪華な蒔絵を施した豪華な「女乗物」(籠)なども見応えがありました。当時の籠は今までも何度か見たことがありますが、さすがに将軍の息女の乗物は豪華さが格段に違います。
 そのほか、皇室から総軍家に降嫁した和宮の婚礼調度や衣装なども数多く展示されていました。変わったところでは御所人形はいはい人形など。10代で都から江戸に嫁いだ和宮は、これで寂しさをまぎらわしていたのかもしれませんね。
 そして、最後の方に展示されていた「空蝉の袈裟」も興味深いエピソードのある一品でした。将軍・家茂は長州征伐のため江戸を出立する際に、凱旋の土産として和宮に西陣織を頼まれました。家茂は約束通り京都でこの西陣織をあつらえたのですが、大阪にて急死。この衣は形見として和宮の元に届けられ、後に袈裟に仕立てられたそうです。
 空蝉のという名の由来は、「空蝉の唐織り衣なにかせん あやも錦も君ありてこそ」という歌が添えられていたためだとか。政略結婚で結ばれた若い夫婦のほのぼのとしたエピソードに心温まりました。



「白輪子地雲立湧菊折枝文打掛」


白輪子地雲立湧
  菊折枝文打掛 
伝和宮所用
 
 (徳川記念財団蔵 )

仁孝天皇の皇女である和宮が14代将軍徳川家茂に降嫁する以前に着用していたとされる打掛。
白地に刺繍があしらわれ色鮮やか。植物の折枝模様と幾何学模様をあしらったデザインは当時の流行のようですが、格調の高さも感じられる一着です。


「千代姫婚礼調度 初音蒔絵貝桶」

■千代姫婚礼調度
  初音蒔絵貝桶 
 《国宝》
 
 円幸阿弥長重作
  (徳川美術館蔵 )

3代将軍家光の長女で尾張徳川家に嫁いだ千代姫の婚礼調度の一つ。
 どっしりとした重量感に繊細な彫りの美しさは、まさに芸術品。そのまばゆいばかりの輝きにため息!


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