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トプカプ宮殿の至宝展チラシ


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  トプカプ宮殿の至宝展
〜オスマン帝国と時代を彩った女性たち〜

 ヨーロッパとアジアを結ぶ東西の架け橋・イスタンブールを中心に、600年あまりも世界に君臨した「オスマン帝国」。その最高権力者であるスルタンが住んだのが「トプカプ宮殿」です。
 今回の展示品約140点は、歴代スルタンの絶大なる権威と華やかな宮廷文化を垣間見ることのできる豪華な品々です。オスマン帝国は領土を拡大するにつれ、ヨーロッパ諸国に大きな影響力を持ちましたが、多種多様な民族・言語・宗教を柔らかく包み込み、中国をはじめ異文化を積極的に受け入れる懐の深さも持ち合わせていました。そうしてオスマン独自の文化を着々と花開かせていった様子が興味深い展示内容です。

・東京都美術館 2007年8月1日〜9月24日
・京都文化博物館 2007年10月6日〜12月2日
・名古屋市博物館 2007年12月11日〜2008年2月11日

ハーレムの帝王の間

トプカプ宮殿・ハーレムの「帝王の間」

世界帝国に君臨したスルタンたち

オスマン帝国は、スルタンが君主の花押であるトゥグラを押した勅令や勅許状で広大な領土の統治をした中央集権国家でした。花押入りの公式文書をはじめ、華麗な装備を身にまとい大軍を指揮して外征をした歴代スルタンの肖像画や馬印(トゥー)など興味深い展示がなされています。
マフムート1世の花押入り文書


★花押入り文書


1745年

18世紀前半のスルタン、マフムート1世の発した勅許状で、中央の上部と下部左側の金色が花押。勅許の本文は、美しい花の文様装飾の下部に専用書体で書かれています。



武器・軍装品

 オスマン帝国のスルタンは強力な軍事力のもとに外征を繰り返し、異教徒を含め諸国を呑み込んで周辺諸国の恐れる大国へと成長していきました。それゆえ、オスマンのスルタンにとって儀礼の際の軍装は、その権力を誇示するものとして非常に大切なものでした。
 
ここに紹介する兜のほかにも、刀剣や石銃、斧などの様々な武具の展示がなされていましたが、豪華な金があしらわれていたほか、トルコ石やルビーなどの宝石が使用されるなど豪華に装飾されたものが数多くありました。

 また、イスラムの信仰を示す言葉などが刻まれているのも特徴で、オスマン帝国では信仰と軍事活動が一体を成していたことの証です。
礼装用兜


★礼装用兜

1550年頃
金の象牙装飾が施されたこの鉄製の兜は、ルビーとトルコが散りばめられた儀式用のもの。このような儀式用の豪華な装備品はスルタンにとって権威を示す重要なものでした。
 兜の数ヶ所に信仰告白が金象嵌されているのがイスラムらしい特徴で、前立部分には「神は唯一であり、ムハンマドはその使徒である」との言葉が刻まれています。


軍馬用面鐙


★軍馬用面鐙

16世紀後半

オスマン帝国では人間だけでなく、軍馬にも美しいお面を被せました。これは、銀または銅を主体とした合金に水銀と金の混合物を塗り、水銀を蒸発させた「トムバク製」で作られています。
この面鐙の中央部分には、「新月」をあしらった装飾が施されています。

いざという時のため スルタンも「手に職」?

本当か嘘か、スルタンは失脚の場合に備え手に職をつけていたそうです。コンスタンティノープルを征服した15世紀半ばのメフメット2世は「庭師」で、16世紀に大帝国を築いたスレイマン1世は「金細工師」、そして19世紀末に専制政治を強いて恐れられたアブデュル・ハミト2世は家具造りが得意だったそう。なんと庶民的な、、!?
 しかし、オスマン帝国では、スルタンに即位できなかった王子は、同母の兄弟であっても処刑されるのが慣例になっていたそうで、果たしてその「手に職」が生かされたのかが気になるところです。
 もっともそれでは王家の血筋が途絶えてしまうので、そんな極端な慣例は17世紀になってから廃止されたそうです。スルタンの兄弟だちは処刑はされませんでしたが、鳥籠(カフェス)と呼ばれる宮殿内の館に軟禁され監視生活を送るようになったのです。

コーラン書見台

★コーラン書見台
16世紀後半

コーランほか書物を読むための「ラフレ」と呼ばれる台で、中央部が蝶つがいとなり折りたたむことができる便利なつくり。当時、木製品に貝や象牙を用いた象嵌細工を施すのが流行していたそうです。この書見台はスレイマン1世愛妃ヒュッレムの霊廟にあったもの。


宝飾コーラン・カバー

★宝飾コーラン・カバー
19世紀

尊い書物として大事にされたイスラムの聖典「コーラン」の写本用のカバー。
トプカプ宮殿にはこのような豪華に宝飾されたものが数多く残されていますが、これは直径約2cmの大きなエメラルド付き。




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 オスマン帝国の領土の
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宝飾水柱・水盤

★宝飾水柱・水盤
19世紀

トルコの宮廷では、食事前などに部屋の中で手を洗う習慣があり、このように美しい水柱(ポット)と水盤のセットが数多く残されています。
このセットは、草花文様の七宝で、ヨーロッパ風調の華やかなデザインが目を惹きます。


優雅な宮廷生活

 優雅な宮廷生活を彩った日常用品も豪華な装飾のなされた芸術的なものがたくさん。トルコならではの習慣を垣間見ることができ、とても興味深い展示でした。

 オスマンの宮廷では、ピラフやスープでも個別に盛り付けされることはなく、それぞれが大皿や鉢から取って食べたそうで、食器関係ではまばゆいばかりの金で作られたスープ用の鉢やピラフ用の鉢、シャーベット用ポット、宝飾スプーンなど見応えある品々が数多く展示されていました。
 そのほか興味深いものとしては、美しい刺繍のなされた手拭いやスカーフ、「ラヴタ」と呼ばれるオスマン独特の弦楽器など。
宝飾コーヒー・カップ受け

★宝飾コーヒーカップ受け
19世紀
コーヒーは16世紀中頃にイスタンブールに伝わりました。杯型の小型のカップにコーヒーを注ぎ、それをカップ受けに載せて出すのが改まった出し方だったそうで、芸術的なカップ受けがたくさん製作されました。
この金製の展示品には鮮やかな七宝細工の上にダイヤとルビーが施され、女性が喜びそうな豪華な一品です。


シャーベット用ポット

★シャーベット用ポット
18世紀

当時トルコで好まれたシャーベットは、果物・薔薇・ジャスミン・睡蓮なその花や薬草などから作られた甘味の強い飲料でした。「シャーベット」は、アラブ世界で普及したシロップ水を起源としていますが、オスマン帝国を経て、ヨーロッパに伝わって普及したものです


トプカプ宮殿
ハマム用サンダル

★ハマム用サンダル
18世紀
オスマンの日常生活では入浴は欠かせないもので、地域社会のハマム(浴場)は大事な公共施設でした。特に、女性たちは週に数回ハマムに通いおしゃべりをしたり社交を楽しんだほか、ハマム用のグッズも様々な細工を施したものを使用し、お洒落を楽しみました。

団扇に込めた「秘めた恋のささやき」

 女性の大事な装飾品であった団扇は宮廷生活の必需品の一つで、室内では大型のものを使い、外出時には小型のものを持って優雅に揺らすことで女性らしさを表現しました。
 また、当時の女性たちは男性と自由に話すことが許されなかったため、団扇を使って自分の気持ちを相手に伝えていたそうです。 例えば、団扇を頬からずらすと「あなたを愛しています」という意味で、逆に団扇で顔をかくすと「あなたと知り合いたい」。また、右頬に扇を当てると「はい」を示し、左頬に当てると「いいえ」となるなど、団扇を使った言葉の信号が定着していたようです。
 日本の平安時代の男女の恋愛の奥ゆかしさを思い出す興味深いエピソードでした。
  

化粧箱

★化粧箱
18世紀

華やかな装飾を施した象牙製の化粧箱で、七宝の上に宝石を埋め込んだ美しいメダル状飾りがついています。
構造は2層に分かれており、上段には瑪瑙、オパール、金、七宝などで装飾された5つの小さな化粧品入れ用のスペースで、下段はロウソク立てとロウソク用鋏入れになっています。


宝飾団扇

★宝飾団扇
17世紀中期
オスマンの宮廷生活で欠かせないものに団扇がありました。女性とっては重要な装飾品でもあり、美しい装飾がなされた団扇が好まれました。
この展示品は団扇の羽の部分が欠落したものですが、華やかなゴールドにルビーやエメラルド、色鮮やかな七宝で装飾されて極めて豪華です。


スルタンの豪華な宝飾品


 スルタンをはじめ宮廷の人々の身の回りのものは、ゴージャスな宝飾に彩られた煌びやかなもので、オスマン帝国の栄華を物語っています。「ソルグチ」と言われるターバン飾りのほか、ベルトや王杖、宝石箱、水入れなど、あらゆるものにルビーやエメラルドなどの宝石が惜しげもなくふんだんに使われていて、ため息が出るばかり!

ターバン飾り

★ターバン飾り
18世紀中期

「ソルグチ」と呼ばれるターバン飾りは、スルタンをはじめ身分の高い男女が頭衣につけた装飾品で、今回の展示会でも豪華な宝石で飾られたものがいくつか出品されていました。
スルタン用のソルグチは特別豪華で、この展示品の特大のエメラルドの大きさは、なんと262カラット!


衣装・装飾品

カフタンなどオスマン独特の衣服を中心にネックレスや髪飾り、刺繍腰布などが展示されていますが、興味を惹いた展示に「足環」がありました。
 中東の女性はくるぶしに足環をはめる習慣があったそうで、足首の美しさを強調するための装飾品だったというが、歩いた時に鳴る音で若い女性の存在を知らせるものだったそうです。


薄いベールを被った女性像 
薄いベールを被った女性

 
18世紀頃のイスタンブールの宮廷人や若い男女、外国人などのファッションを描いた作品集からの1枚。
王女用刺繍ブーツ

★王女用刺繍ブーツ
16−17世紀

スルタンの王女が使用したアトラス(サテン)の赤い絹地に金糸で刺繍した編み上げ式ブーツ。
トルコの宮廷では、婚礼などの際にベルベット地に真珠やビーズで豪華に装飾した儀式用のブーツが用いられていたとか。


王子用カフタン

★王子用カフタン
17世紀

「カフタン」とは、スルタンをはじめ宮廷の身分の高い人々の着る長衣で、儀式用のものは絹などの贅沢な布に鮮やかな刺繍の施された豪華なものが多い。
このカフタンは、17世紀初めのスルタンであるアフメット3世の霊廟に収められていた遺品の中の一つ。


中国陶磁器

 イスラム世界では、早くから中国の絹や、紙、絵画、陶磁器などが高く評価され、優れた芸術品の収集は支配者たちの権威の象徴でもあり、トプカプ宮殿は1万2千点にも及ぶ中国陶磁器を所有しています。
 それらは、献上品・戦利品・交易品・徴税品など様々な経路で集まってきたものですが、オスマンの宮廷ではただ鑑賞するだけでなく実際に使用されていました。そして、水柱や水筒などトルコの文化・風習に合わせて加工も行なわれるようになり、トルコ文化を反映した陶磁器がイスタンブールで数多く生み出されました。そういった独特の興味深い陶磁器も今回の展示の目玉になっています。
 また、オスマンの宮廷では青磁が珍重されていたそうですが、その理由の一つに毒殺除けの意味合いがありました。イスラム世界では青磁は毒が盛られた際には変色すると信じられていたそうです。
青磁蓋瓢箪型浮牡丹文瓶

★青磁蓋 瓢箪型 浮牡丹文瓶
19世紀後半

トプカプ宮殿の中国陶磁器コレクションのうち青磁は1,354点占めているが、その中でも瓢箪型のこの瓶は特徴のある1品。本体の青磁は14世紀の元時代に中国で製作されたものですが、トルコにもたらされ、金製の蓋が付けられるなど19世紀に加工されました。


染付鳳凰花蔓草文水柱

★染付鳳凰花蔓草文水柱
19世紀後半
15世紀末から16世紀の初頭に中国の景徳鎮で作られた磁器を17世紀にトルコで加工したもの。
最初は修復のために口縁部や注ぎ口に金属部が付けられていたのですが、そのうち、オスマンの好みや生活習慣にあった形に加工が行なわれるようになったそうです。
この展示品は手を洗うための水柱ですが、ほぼ同じ形の青磁の水柱も展示されていました。


金のゆりかご

★金のゆりかご
18世紀
秋篠宮家の悠仁親王誕生を祝って特別出品されたもので、日本とトルコの深い友好を示した貴重な展示品。

オスマンの宮廷では王子が誕生するとスルタン・母后・大宰相から3つのゆりかごが贈られる習慣があり、儀式とともにハーレムにゆりかごが届けられました。
このゆりかごは木製で、鮮やかな金にの板に覆われ、ダイヤ・ルビー・エメラルドなどの宝石がふんだんに使われた非常に豪華なものです。