モーツァルト最大のライバル
アントニオ・サリエリ
(Antonio Salieri)
1750 生- 1825年没
イタリアのレガノ生まれの作曲家。幼少のころから優れた音楽の才能を発揮し、1766年にヴェニスを訪れていたウィーン宮廷楽長ガスマンが16歳のサリエリの才能に驚いて、ウィーンに連れて帰ったという。彼はそれ以後ウィーンにとどまり、ガスマンの指導を受け、ウィーンの宮廷で少しずつ認められていきました。1788年には宮廷作曲家に任命され、亡くなる直前の1824年まで36年間その地位にありました。
音楽の才能も確かで、ベートーヴェンやシューベルト、リストは、子供時代に彼の指導を受け、その影響を受けていました。そして、皇帝からの信頼も厚く、寵愛を受けて高い地位を維持。ハイドンなどの当時の著名作曲家との交際もあり、ウィーンの音楽界では確固たる存在でした。
後世、サリエリが有名なのはモーツァルトとの対立です。モーツァルトがザルツブルクからウィーンにやってきた時、すでにサリエリはこのような確固たる地位を築いていたにもかかわらず、モーツァルトの類まれな才能に嫉妬と脅威を覚えたとされています。モーツァルトの死後、新聞などがサリエリがあたかもモーツァルトを毒殺したような記事を掲載し、根拠がないにもかかわらず、それがまるで真実かのように噂になりました。サリエリは死ぬまでその噂に悩まされたのです。
のちに、この事件をモチーフにした作品がいくつか発表されました。リムスキー=コルサコフによるオペラ『モーツァルトとサリエリ』やピーター・シェーファーの『アマデウス』(1979年)、アカデミー賞を受賞した映画『アマデウス』(1984年/2001年完全版)などです。しかし、実際のサリエリとモーツァルトの仲は、物語になっているほど敵対したものではなく、サリエリはモーツァルトの才能を高く評価していた人物の一人でといわれています。
近年、まだ一部ですが、サリエリの再評価をする動きがあります。オペラ・室内楽、宗教音楽を得意としていましたが、特にオペラに優れ、43曲の作品を残しています。代表作は、Danaides(1784年)とTarare(1787年)など。