「スリランカ 輝く島の美に出会う」


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スリランカ輝く島の美に出会う

 
光り輝く島」という意味を持つスリランカ。元の国名「セイロン」もなじみ深く、紅茶や宝石で知られる国ですが、2千年以上の長い歴史の中で人々が育んできた素晴らしい文化が存在します。仏像やヒンドゥー神像、仏具や、美しい宝石をふんだんにあしらった宝飾品など、国宝級を含む約150点にものスリランカ美術が9月17日〜11月30日まで東京国立博物館 の表慶館に一堂に展示されました。 

スリランカ周辺地図

 第1章:アヌラーダプラ時代

    
(紀元前3世紀〜後11世紀)

上座部仏教が国家の庇護のもとで信仰を集めると同時に、大乗仏教や密教もスリランカに及んでおり、この時代の後半にはブッダ像に加えて美しい菩薩像も数多く作られました。また、仏教寺院は高度な技術を用いて建造された巨大な塔を中心に大伽藍が形成されました。スリランカの仏教彫刻は南インドの影響を強く受けていますが、この時代の後期には独自の様式が誕生しました。   



 仏像の展示が主でしたが、見慣れている日本の仏像とは違っていて、なかなか興味深いものがありました。まず、顔がちょっと長方形で、目の形も独特。肩幅が広くて腰が小さくてしまったところに体型の特徴があります。また、手や足など細長く全体的に直線的なかんじです。身に着けている衣服のヒダの直線的なラインにも目がいきます。ゆったりとふくよかな日本の仏像とは印象がかなり違います。左右の手の形も独特の形をしていて、どの仏像も統一感がありました。
  最も大きな違いは脚の組み方だそうです。スリランカの仏像は左足の上に右足をのせるだけだそうです。そう言われれば、なんとなくラフなかんじで脚を組んでいます。
 また、脚を組んでいないだけでなく、片足を立てているものなど、めずらしい格好をしているのも菩薩様などが数多くあり、普段きちんとしたものしか見慣れていないのでちょっと新鮮に感じました。 全体的に日本のものより人間に近い雰囲気です。
 また、頭の結い方や飾りが豪華なものが多く、頭の部分に目が行きました。時代が変わっていくにつれ、少しずつ変化していった様子も興味深かったです。

 そのほかにもスリランカの王朝の変遷に即した展示がされており、その時代時代の特徴などが説明されていました。歴史好きの私でもさすがにスリランカの歴史は全く知らないのでチンプンカンプンでしたが、展示を見ながらまだ行ったことないスリランカという国に妙に親近感を感じました。様式は違っても日本と同じ仏教国だからなのか、不思議な感覚でした。

 そのほか印象に残っているものには、古い時代に流通していた数種類の硬貨の展示がありました。なかでも、ローマ帝国のコインにはちょっと「おお!」と興奮しました。どれも小さいものですが、こんなのが本当にお金としての価値があったのか?と思いました。

 さらに展示の後半には、スリランカ古来の楽器や舞踏用のお面、装飾品など民族性を感じさせる多くの興味深い展示がありました。ほとんど知らなかったスリランカの歴史や仏教美術、民族文化などをじっくり味わえる充実したイベントで、約2時間ぐらいじっくり鑑賞しました。   (2008/9/26)

ヤクシニー
4世紀 ヤクシニー
観音菩薩坐像
観音菩薩坐像
▲8〜9世紀 後期アヌラーダプラ時代▼
如来坐像
如来坐像
カーライッカール・アンマイヤール
カーライッカール・アンマイヤール

 第2章:ポロンナルワ時代から諸王国時代
     
(11〜16世紀)

11世紀からのインドのチョーラ朝支配下で起ったチョーラ朝支配の間にヒンドゥー教が広まり、シヴァやヴィシュヌなどを祀まつる寺院が建立され、南インドと密接なつながりを示す彫像が作られる一方、仏教も再び保護されるようになり、仏歯をおさめた寺の建立や、ミャンマー(ビルマ)からの僧侶の招聘などが行なわれた。全島を統一したパラークラマバーフ1世やインド出身のニッサンカ・マッラの頃(12〜13世紀)、王国は大いに繁栄し、ワタダーゲ寺院、巨大な仏涅槃像のあるガル・ヴィハーラなどが造営された。


 第3章:キャンディ時代とそれ以後
     
(16〜20世紀)

  16世紀頃、沿岸部がポルトガルの植民地となりますが、島中央の山地部にあるキャンディ王国は独立を守りました。1658年にはオランダがポルトガルに取って代わりますが、キャンディはこれと共存。衰退していた仏教の回復のため、タイ(シャム)やミャンマーから僧侶が招かれ、社会の幅広い層に仏教の門戸が開かれました。仏教彫刻ではブッダ像の制作が盛んに行なわれ、この時代に象牙彫刻や工芸も盛んになり華麗な宝飾品が珍重されました。
 1815年にキャンディ王国は滅びて植民地時代を迎えますが、1948年イギリス自治領として実質的に独立しました。

櫛とチューナム入れ
        18世紀  櫛/チューナム入れ 

   ※チューナムとは石灰のことで、キンマやビンロウとともに
     噛みタバコに用いられました。
入口近くの看板
  「大琳派展」とのセット券も販売されていました
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