「西洋絵画の父」呼ばれたジョットこと、ジョット・ディ・ボンドーネは、それまでの平面的で型にはまった絵画表現の殻を破り、ルネサンス芸術の幕開けを告げたイタリアの芸術家で、13世紀末から14世紀にかけて活躍しました。ジョットの残存する作品のうち移動可能な壁画や板絵は、保存状態を保つために貸出しがむずかしいものばかり。今回はジョット作とされる貴重な4作品とジョットの同時代から15世紀までの約20名の作品が損保ジャパン東郷青児美術館に集められました。 |
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INDEX
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ジョット・ディ・ボンドーネ (1267頃−1337) 当時フィレンツェで活躍していた画家チマブエに1277年頃に見出され、チマブエの工房で修行を始める。1290年ごろに独立し、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の壁画「聖フランチェスコ伝」などに携わったほか、パトヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の38面壁画の制作などイタリア各地で活躍。また、優れた建築家でもあり、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の「ジョットの鐘楼」などを手がけている。 |
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久々にイタリアの宗教画をじっくりと鑑賞しましたが、宗教画は一つ一つの登場人物や配置に深い意味がこめられていて、見ているだけで当時の人たちの篤い信仰心が見えてくるようで、そこに深い興味を感じました。今から、700〜800年も前のものなので、落飾していたり痛みもけっこうあるようでしたが、それだけにとても貴重なものという実感がありました。また、保存状態が良いものは、ぴかぴかと美しく輝やく金箔の上に緻密な細工がなされ、丁寧に聖人や聖母、天使などが描かれ、近くで見れば見るほど素晴らしさがよくわかります。 |
★ ジョット作品 ★ | |||
「聖母子」 1295年頃 |
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「嘆きの聖母子」 災害による被害と度重なる修復を経て近年になってジョットの作品と認められた剥がされたフレスコ画。十字架の下で涙を流す聖母を描いたものだと思われますが、聖母の表情は恐ろしいほどに人間的な悲しさを浮かべています。 |
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「殉教助祭聖人」 1310年頃 サンタ・クローチェ聖堂を飾ったこのステンドグラスは、この聖堂の一連の壁画を制作した少し後のジョットの絶頂期の頃に制作されたと推測されています。 |
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★ スクロヴェーニ礼拝堂 ★ | ||||
イタリア北部の都市パドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂は、裕福な大商人エンリコ・スクロヴェーニが高利貸しだった父親の罪を贖うために膨大な資金を投じて建設した私的な礼拝堂。礼拝堂の内部のほぼすべての壁画が1304〜06年頃のジョットの作で、ジョットの最高傑作とされています。今回の展覧会ではパネル展示によって全体図と主な壁画が紹介されました。 |
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a: ヨアキム伝 ヨアキムと羊飼い | b: マリア伝 マリアの帰宅 | c: キリスト伝 洗礼 | cの右隣: キリスト伝 カナの結婚 | |
d: キリスト伝 最後の晩餐 | e: キリスト伝 ユダの接吻 | fの左隣: キリスト伝 磔刑 | f: キリスト伝 哀悼 |
※すぐ上の3枚と左の「最後の晩餐」は クリックで拡大 |
g:最後の審判 |
※中央のキリストの下の方に、聖人がスクロヴェーニ聖堂を持ち上げ、聖母マリアに捧げている。聖堂を発注者エンリコ・スクロヴェーニの姿が描かれています。 |
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★ サン・フランチェスコ聖堂 ★ | |||
世界遺産にも登録されているアッシジのサン・フランチェスコ聖堂は、12世紀末にこの地に生まれた聖人フランチェスコに捧げられた聖堂で、斜面を有効に利用するため建物は上下二段に分かれています。その上堂に、ジョットによって描かれたとされるフレスコ画「聖人フランチェスコの生涯」があり、1枚の絵は畳8畳ほどという大きさで時計回りに28場面が描かれています。1296年〜99年頃、チマブエの工房より独立して間もない比較的初期の作品ですが、スクロヴェーニ礼拝堂の壁画と並びジョットの代表作とされています。 |
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「財産放棄」 | 「教皇の前での説教」 | ||
★ その他の画家の注目作品 ★ | |||
「玉座の聖母子」ほか祭壇画 |
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バーリの聖ニコラウス、大天使ミカエル、聖ラウレンティウス、聖ユリアヌスをともなう聖母子 板絵の一番左の聖ニクラウスは4世紀初めごろのトルコの聖人で、サンタ・クロースの元になった人物です。 聖マリアをサンタ・マリアと言うように聖ニコラウスを「サンタ・ニコラウス」、そして「 サンタ・クロース」と呼ぶようになりました。 |
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