[ジョン・エヴァレット・ミレイ展」

T.ラファエル前派
U.物語と新しい風俗
V.耽美主義
W.大いなる伝説
X.ファンシーピクチャー
Y.上流階級の肖像
Z.スコットランド風景


英国ヴィクトリア朝絵画の巨匠

ミレイ展   

 19世紀イギリスにおいてハント、ロセッティらと「ラファエル前派兄弟団」を結成し、革新的芸術活動の中心的役割を担い注目を浴びたミレイ。代表作の「オフィーリア」はあまりに有名ですが、耽美主義的な作品で人気を得たミレイはロイヤル・アカデミー会員になり、その後は「ラファエル前派」のグループから離れて次第に作風を変化させていきました。67歳で亡くなるまで幅広いジャンルの作品を残し、当時のヨーロッパで人気画家の地位を不動のものにしました。

 ヨーロッパでの人気に比べ日本ではそれほど知名度が高くないミレイですが、今回はロンドンの「テート・ブリテン」、アムステルダムの「ゴッホ美術館」で開催された展覧会が巡回し、代表作約80点が一挙に公開されました。若き「ラファエル前派」時代から晩年まで、さまざまなミレイの魅力を堪能できる充実の展示でした。

ミレイ自画像

1829年に資産家の息子として生まれ、11歳でロイヤル・アカデミー付属美術学校に入学するほど画才に恵まれていた。画家仲間のロセッティいわく「天使のような美貌の持ち主」で、性格も円満だったとか。
 当時のイギリスを代表する人気画家となり、1885年には准男爵に叙せられ、没年の96年にはロイヤル・アカデミーの会長にも選ばれるなど、画家として幸運な人生を送った。


T.ラファエル前派

当時のイギリス画壇で権威を持っていたロイヤル・アカデミーを代表とする当時の正統的美術観は16世紀のラファエロの芸術を最高のものとしており、ラファエロと彼の画風を踏襲したボローニャ派の画風を学んで理想的な絵画を描かせようとしました。これに対し、ミレイたちロイヤル・アカデミーの付属校に学ぶ若き新進気鋭の画家7人は、ラファエル以前の自由で明るい画風を目指して「ラファエル前派兄弟団」を結成し、アカデミーの方針に挑戦しました。伝統的絵画からは逸脱した彼らの作品は最初は酷評を受けますが、批評家のラスキンが支持をしたこともあり、次第に受け入れられ評価されるようになりました。


「両親の家のキリスト」

(大工仕事場のキリスト)
(1849-50年 テートギャラリー) 

 理想的に描かれるはずのキリストや聖家族をあまりに庶民的に描いているため、冒涜的だということで激しく批難されてしまったという作品。
 中央に描かれた少年キリストはどこにでもいる普通の可愛い男の子で、彼に寄り添う母親も神々しさは全くなく、聖母マリアのイメージには程遠い貧しさのにじみ出た女性。そして、作業場の左で大工仕事をしているのが、キリストの父親・聖ヨセフ。右の子どもは腰の周りを覆っている毛皮から推測して洗礼者ヨハネです。傷を洗うために水を運んでいる最中で、この水はキリストの洗礼を連想させます。

 彼らは一枚の戸を作っているのですが、よく見るとその戸に打ち付けてある釘でキリストはを負っており、血が足に落ちています。これは、キリストの磔刑をほのめかしていると思われます。
 他にもこの場面の中ののいくつものに様々な宗教的な意味がこめられています。
 例をあげると、壁に掛かっている三角定規は聖三位一体を表し、はしごに止っている鳩はキリストの洗礼のときに現れる聖霊を暗示しています。そのほか、戸口の赤いサボテンの花は「茨の冠」を想い起させ、キリストの受難と流された血を表しているとされています。

 大きなキャンパスに描かれたこの絵は、どこまでも写実的に緻密に描かれ、卓越したリアリズムと色彩に圧倒される見応えのある作品です。

↑戸口の赤いサボテンの花とともに戸外に描かれた羊の群れにも宗教的な意味が込められています。画面の隅々まで、手を抜くことなく緻密に描かれたミレイの卓越した技能には脱帽!

 「木こりの娘」  
 (1850−51年 ギルドホールアートギャラリー)


 絵の前に立つと、思わずうっとり引き込まれる色彩の鮮やかさが印象的な作品。
 赤い服の少年は由緒ある家の御曹司で、少女は木こりの娘。二人の仕種は、「少女は手伝いに行っただけだった」で始まるコヴェントリー・パットモアの詩から描かれたそうです。身分違いの幼い2人の淡い恋心が表現され、物語の1コマのようなストーリー性を感じる作品です。
  背後の作業をする少女の父親の木こりと少年を結ぶ直線状に少女を描くことで、2人の仲を意図的に牽制するような構図になっているとか。

「木こりの娘」

  「マリアナ」   (1850-51 テート・ギャラリー)

 ヴィクトリア朝最大の詩人アルフレッド・テニスンがシェイクスピアの『尺には尺を』から想を得て詠んだ詩『マリアナ』(1830年)に基づいて描かれた作品。
 「マリアナ」は婚約者アンジェロに捨てられ、絶望の中で孤独な生活をおくる女性の名で、ミレイのほかにも同時代のロセッティやウォーターハウスも描いています。ミレイはこの作品において、マリアナの閉ざされた心と肉体的な欲望との葛藤を巧みに表現しています。

 細かい解釈は別にしても、実際の絵の前に立つと、その艶かしさと色彩の輝きによって、思わずうっとりしてしまう作品。その輝きは、これが人によって描かれた絵画だということが信じられないほどに美しい!

「マリアナ」
「オフィーリア」

 「オフィーリア」
 (1851-52年 テート・ギャラリー)


 ラファエル前派の絵画の中でも傑作中の傑作として知られるミレイの代表作。シェイクスピアの四大悲劇の一つ『ハムレット」の第4幕7章の一場面を幻想的に描いた作品。
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U.物語と新しい風俗


 「連隊の子ども」
  1854−55年 イェール英国美術センター

 とても愛らしい少女の姿に引き込まれるとともに、まるでそこに実際に存在するかのような写実の見事さに圧倒され、しばし絵の前でうっとり。
 時代はナポレオン戦争の頃。流れ弾に当たって怪我をした少女が軍服を教会の墓碑の上で眠っている姿を描いています。少女は手当てを受け、軍服をかけてもらっぐっすり寝ていますが、どういったシーンなのか想像を掻き立てられます。
 この絵の舞台となっているのは、イングランド南東部イースト・サセックス州ライ近郊の小村ウィンチェルシーにあるセント・トマス教会だそうで、墓碑は14世紀のものだとか。

「1746年の放免令」

 「1746年の放免令」
  (1852−53年 テート・ギャラリー)

 ジャコバイトの反乱で負傷し、スコットランドの刑務所に収監されていた夫を迎えにいった妻を描いた作品。子どもを抱えた女性は毅然とした表情で釈放の証明書を係員に差出しています。手前の犬の毛並みや登場人物の衣服の描写なども素晴らしく、まるで実際の場面を見ているような光景が大画面に描かれ、迫力のある作品です。

 この女性はのモデルとなったのはミレイの妻のエフィ。エフィはミレイの友人だった美術評論家のラスキンの妻だった女性。ミレイとエフィは次第に恋仲になり、エフィの離婚後、正式に結婚するに至り、2人の間には4男4女授かりました。ミレイは妻エフィや子どもたちを描いた作品を数多く残しています。

V.耽美主義

 「エステル」
 (1563-65 ロバート・アンドアン・ウィキンズ/米)

 ミレイが「エステル」というタイトルで描いた毅然とした女性は、旧約聖書にある歴史物語『エステル記』の主人公であるユダヤ人女性。その興味深い物語の内容は、、、、
 「ユダヤ人モルデカイの養女エステルは、ペルシア王アハシュエロス(クセルクセス1世)の妃となった。ある日、父モルデカイが大臣ハマンへの敬礼を拒否するという出来事が起こり、怒ったハマンはユダヤ人全ての殺害を決め、その日をユダヤ暦のアダル月13日とした。絶体絶命の危機に父から助けを求められたエステルは、全ユダヤ人のため決死の覚悟し、王に自分がユダヤ人であることを明かしてハマンの謀略を知らせた。これによって王はハマンを処刑し、モルデカイは高官に取り立てられた」
 ユダヤでは今でもこの日を「プリム祭」という祭日にしてて讃えているそうです。

「エステル」
 「姉妹」 (1868年 個人蔵)

子どもの絵をたくさん描いたミレイは、自分の子どもたちの絵もたくさん残しています。
 「姉妹」というこの絵の女の子たちは、ミレイの娘たちで左から次女メアリー、長女エフィ、3女アリス。同じドレス、ヘアバンドを身に着け、ポーズを取っていますが、ニコリと笑うわけでもなく、それぞれ意思の強そうな眼差しをしています。

W.大いなる伝説

 「ローリーの少年時代」
 (1869-71年 テート・ギャラリー)

 エリザベス朝の偉大な探検家ウォルター・ローリーの少年時代を描いた作品。ローリーたち2人の少年は船乗りが語る冒険談に夢中になって耳を傾け、真剣そのもの。ミレイは画面端に玩具の船や背後の異国の鳥を描くことで、外洋航海の果てしないロマンを演出しています。
 この絵に登場する少年のうち、左のローリーはミレイの長男エヴァレット、右は次男ジョージがモデルとなっているとのこと。自分の息子たちを英雄ウォーター・ローリーに重ねることで、希望に満ちた少年たちの夢を表現しているのがおもしろい。

 「どうかお慈悲を!
   1572年のサン・バルテルミの虐殺」

  (1886年 テート・ギャラリー)

 16世紀のフランスは「ユグノー戦争」と呼ばれる宗教対立による内乱の時代でした。フランスではカルヴァンの教えに影響を受けた改革派(プロテスタント)が勢力を伸ばしており、彼らはカトリック側から「ユグノー」という蔑称で呼ばれていました。
 「サン・バルテルミの虐殺」はそんなユグノー戦争の最中に起こったカトリック教徒によるプロテスタントの大量虐殺事件。ナバール王アンリ(後のアンリ4世)とフランス国王シャルル9世の妹マルグリットの婚儀のためにパリに集まっていた多くのプロテスタント(ユグノー)が殺害されました。
 ミレイのこの絵は、取りすがって嘆願する尼僧と振り払おうとする貴族の心理的葛藤を劇的に描いた歴史的絵画です。男の腕の白い布はカトリックのシンボルで、そのほか突き立てられた剣などにも意味がこめられているとか。

「どうかお慈悲を! 1572年のサン・バルテルミの虐殺」
X.ファンシーピクチャー

 ファンシーピクチャーとは「空想的な絵」と言う意味で、 18世紀から英国で流行していた風俗画の一種です。
 愛らしい女性や子供を仮装させるなどして空想的に作品を描きました。

「初めての説教」 「二度目の説教」

    「初めての説教」    (1863年 ギルドホール・アート・ギャラリー) 左
    「二度目の説教」    (1863-64年 ギルドホール・アート・ギャラリー) 右

 「初めての説教」はミレイ初のファンシーピクチャー。5歳の長女エフィがモデルで、場所はロンドン郊外の古い教会の信徒席だとか。この絵が好評だったため2枚目の「二度目の説教」が描かれたそうです。そういわれれば、2枚あることでストーリー性がアップし、作品がイキイキとしたものに見えてきます。 

 
  
「ベラスケスの想い出」    
  (1868年 ロイヤル・アカデミー・オブ・アート) 

 ロイヤル・アカデミーのディプロマとして描いた作品。スペインの宮廷画家ベラスケスの描いた宮廷夫人や少女の絵をイメージして描かれたとか。な〜るほど。
 前衛的だったラファエル前期時代と違って、正統派的な重厚な雰囲気を醸し出しており、ミレイの画風が時代とともに変わってきたことがわかります。

「あひるの子」


 
「あひるの子」    
  (1889年 国立西洋美術館)

上野の国立西洋美術館の常設展示にあり、日本で見ることができるミレイの作品。
 可愛いドレスを着てポーズを取っている少女はとても怖い顔をしており、すごい緊張しているのか? その表情がとても気になる、、。
  

 「旦那様宛ての手紙」    
  (1882年 フォーブス・コレクション/米)

 クラシカルなドレスを着て手紙を持っている少女は、怖々とした表情をして見上げています。これから旦那様に手紙を手渡そうと待っているところでしょうか。
 ミレイの描く少女は笑顔を振りまいているものは少なく、緊張した表情なものが多いように思われます。初々しい微妙な表情も気になるけど、「この少女の笑顔が見てみたい!」

Y.上流階級の肖像

 「エヴェリーン・テナント」    
  (1874年 テート・ギャラリー)

 後年、ミレイは上流階級の人々の肖像画を数多く手がけおり、今回も数点が紹介されていました。この作品もその中の1枚―。赤いドレスを着ていることもあり、この女性ちょっと目立っていました。

  「ハートは切り札」    
  (1872年 テート・ギャラリー)

 「ウォルター・アームストロングの娘たち、エリザベス、ダイアナ・メアリーの肖像」とサブタイトルのついたこの作品は、かなり大きな作品で、3姉妹の豪華なドレスや背景の花などキャンパス全体がとても華やか。絵の中の3姉妹は王侯貴族のように優雅に描かれています。

「ハートは切り札」
Z.スコットランド風景

「霧にぬれたハリエニシダ」
(1889-90年 ジェフロイ・リチャード・エヴァレット・ミレイ・コレクション)

「穏やかな天気」
(1891-92年 ジェフロイ・リチャード・エヴァレット・ミレイ・コレクション)