北斎
ヨーロッパを魅了した江戸の絵師
北斎展 チラシ                                  
    
ゴッホをはじめ多くのヨーロッパの画家たちに強い影響を与えたことこでも有名な葛飾北斎(1760〜1849)は、その約90年の生涯の間に様々なジャンルの優れた作品を数多く生み出しました。
 江戸東京博物館では昨年、常設展示室の企画展示で「北斎展―風景画の世界」を開催して北斎の幅広い画業が紹介されましたが、今回の展覧会はオランダ国立民族学博物館とフランス国立図書館の所蔵する肉筆画などがヨーロッパから里帰りし、今まで知らなかった北斎をも堪能できる貴重な展覧会となりました。
 前期・後期で一部作品を入れ替えて展示されていましたが、会期後半に見学しましたので、その時期の展示作品を中心にご紹介しています。日本を代表する絵師・葛飾北斎の素晴らしさをあらためて再認識!

第一部 : 北斎とシーボルト

鎖国下の江戸時代、長崎・出島が欧米に開かれていた唯一の港で、オランダが貿易を独占していました。オランダ商館の館長は4年ごとに義務付けられていた江戸参府の折に、日本の風習や風俗を題材にした肉筆画を北斎に注文し、次の参府の時に受け取って帰ったそうです。そうして集められた北斎の作品はオランダに持ち帰られて日本の風俗を広くヨーロッパに伝えましたが、後にフランス国立図書館に寄贈されました。
また、オランダ商館の医師だったシーボルトもまた日本の情報収集のため浮世絵を集めた人物です。彼のコレクションした作品はオランダ国立民族博物館に収蔵されていますが、日用品や工芸品、植物学、地理学など様々な分野に亘っています。

「年始回り」 「端午の節句」 「花魁と禿」
「年始回り」 「端午の節句」 「花魁と禿」
「節李の商家」

上の3つの作品と左の「節季の商家」はオランダ国立博物館の所蔵でシーボルトが持ち帰ったものとされています。これらは北斎本人かその弟子の作品とされていますが、50代の北斎は人物や風俗・動植物などの肉筆画や「北斎漫画」など絵手本の制作を中心にしている頃でした。西洋の絵画の技法や表現を取り入れて色鮮やかで華やかな雰囲気の中、日本の生活習慣や風俗を余すところなく伝えています。

←「節李の商家」 オランダ国立民族博物館

 ↓「日本橋辺風俗」 フランス国立図書館 ※クリックで拡大
「町屋の娘」と「武家」↓
そのほか「町屋の男」「武家の奥方」の2点も出品
「日本橋辺風俗」

上の2つと下の4つの作品はフランス国立図書館の所蔵作品で、今回の展覧会で最も興味深かったものでした。 いろんな職業の作業風景などが多く、この他にも「西瓜の陸揚げ」「素麺作り」「井戸掘り」「茶店と往来」など興味深い作品が数多く展示されていました。

「大山詣」 「漆屋と蝋燭屋」
「大山詣」 「漆屋と蝋燭屋」
「土手工事」
「提灯張り」
「土手工事」 「提灯張り」
※クリックで拡大
第2部:多彩な北斎の芸術世界
冨嶽三十六景

北斎を代表する人気シリーズ「冨嶽三十六景」は、藍基調のものが36作品、黒縁取りのものが10作品が追加出版され、全46作品から成っています。今回は、一部期間入れ替えで29作品が出品されました。その中から8点をここではご紹介しましたが、「神奈川沖浪裏」と「凱風快晴」はシリーズの中での人気が高い作品です。「神奈川沖浪裏」は印象派の作曲家ドビュッシーが感銘を受け、交響曲「海」を作曲したとか。霊峰・富士を堂々と描いた「凱風快晴」は一般に「赤富士」とも呼ばれ、夏から秋にかけての早朝、朝焼けに山肌を染める一瞬を描いたものです。
 そして、このシリーズの特徴となっているひときわ鮮やかな「藍」は、西洋から輸入されたベルリアン・ブルーの人工香料で、「ベロリン藍」もしくは「ベロ藍」と呼ばれ、当時一大流行したそうです。色彩とともに、このシリーズで際立っているのが斬新な構図。北斎は「すべての物の構図は、丸と三角からなっている」としたそうですが、どこ作品も大胆ながらも全体的なバランスが取れているところがさすが。
 

「富嶽三十六景 甲州石班沢」 「富嶽三十六景 甲州三島越」
「甲州 石班沢」 「甲州 三島越」
「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 「富嶽三十六景 駿州江尻」
「神奈川沖浪裏」 「駿州 江尻」
「富嶽三十六景 凱風快晴」 「富嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図」
「凱風快晴」 「江都駿河町三井見世略図」
「富嶽三十六景 隅田川関屋の里」
「隅田川関屋の里」 「尾州 不二見原」
諸国瀧廻り

各地の名瀑を題材とした全8点の揃い物。単に滝の美しさだけでなく、水が落下する条件の違いによってどのように流れていくかを表現したり、滝と人との関わりなども描かれています。今回は前期・後期の入れ替えで半数ずつの展示でしたが、常設展示にも復刻版の展示があったほか、昨年の「北斎展」で8点展示されていました。ここにはすべての作品をご紹介しています。

「木曾海道小野ノ瀑布」
「和州吉野義経馬洗滝」 「木曾路ノ奥阿弥陀ケ滝」
「木曾海道小野ノ瀑布」 「和州吉野義経馬洗滝」 「木曾路ノ奥阿弥陀ケ滝」
※クリックで拡大
「美濃ノ国養老の滝」 「下野黒髪山きりふりの滝」 「東都葵ケ岡の滝」
「美濃ノ国養老の滝」 「下野黒髪山きりふりの滝」 「東都葵ケ岡の滝」
「相州大山ろうべんの滝」
「東海道坂ノ下清滝くわんおん」
「相州大山ろうべんの滝」 「東海道坂ノ下清滝くわんおん」
※クリックで拡大 ※クリックで拡大
諸国名橋奇覧

各地の珍しい橋を題材とした全11点の揃い物(シリーズ)。
「奇覧」というシリーズ名がついているだけあって、題材としている橋はそれぞれ個性を持った珍しいものばかりで、なかには実在しない伝説の橋なども含まれているとか。このほかには、岩国の錦帯橋、江戸深川の万年橋などが題材とされています。 
 今回の展覧会では期間入れ替えで展示数は少なかったですが、昨年の「北斎展」では6点が展示されていました。

「東海道岡崎矢はきのはし」
「東海道岡崎矢はきのはし」
「飛越の堺つりはし」 「足利行道山くものかけはし」
「飛越の堺つりはし」 「足利行道山くものかけはし」
百人一首うはかゑとき

この百人一首のシリーズは、北斎が80歳近くに制作した最後の揃物で、乳母が子供に百人一首をわかりやすく絵で説明するという設定で作られています。当初は百人一首すべて100図制作する予定だったそうですが、百人一首の歌意と直接結びつかない図様も多く、最初の意図の通りにいかなかったためか、27作品で出版が中断されています。おもしろい発想だったたけに、残念! 今回の展覧会では、展示会場ごとに出品作が変わり、東京では3〜4点の展示のみでした。

「百人一首うはかゑとき 小野小町」
「百人一首うはかゑとき 山辺赤人」
「百人一首うはかゑとき 小野小町」 「百人一首うはかゑとき 山辺赤人」

「花の色は うつりにけりな いたずらに
      わが身世にふる ながめせしまに 」


桜を下から眺めている旅の途中の年配の女性は、ちょうど小野小町の句のような気持ちでいるのでしょうか。

「田子の浦に うち出でてみれば  白砂の
              富士の高嶺に 雪は降りつつ


雪が降って真っ白の富士を眺めながら、田子の浦のを行く旅人たちの様子が描かれています。

その他の出品
「新版浮絵忠臣蔵 十一段目」
「瑞亀図」

「新版浮絵忠臣蔵 十一段目」 浮世絵に西洋の透視図法を
取り入れた「浮絵」の技法で描かれた11枚1組の錦絵の揃い物

「瑞亀図」 長寿を告げる吉兆とされた「瑞亀」の出現に老夫婦が喜んでいる様子を描いた肉筆画。

→「東海道五十三次」
   日本橋(上)と宮(下)


北斎は歌川広重より前に「東海道五十三次」を題材とした錦絵を制作。
「東海道五十三次 日本橋」
←「風流無くてななくせ         遠眼鏡」

シリーズタイトル「ななくせ」の題名通り7枚揃いを目指したと思われますが、このほか「ほおずき」という作品が知られるのみ。

東海道五十三次 宮」
掛け軸を中心とした肉筆画にも秀逸な作品が目白押しでした。そのほか、「雲龍図」「竹林の虎図」「韓信の股くぐり」など。

→左より
「夏の朝」「日の出と双兎」「遊鯉図」










   「新編水滸伝画伝」
「夏の朝」
「日の出と双兎」 「遊鯉図」
「新編水滸伝画伝」



   「84歳自画像」
「84歳自画像」
「四季耕作図屏風」

この屏風は、元々、鹿鳴館を設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの所蔵だった作品。1942年にデンマークで競売にかけられて以来すっと行方不明でしたが、昨年、65年ぶりに所在が判明しました。
 屏風絵は六つ折りで、絵の大きさは縦107cm、横292cm。北斎としては珍しい農村風景がの肉筆画で、右上に正月を祝う様子、中央上に稲作の準備、中央下に田植え、右下から左上にかけて収穫から米俵を蔵に収納する秋の光景と、四季の推移が巧みに配置されています。

北斎漫画     常設展示企画展
「北斎漫画展」チラシ 「北斎漫画」 12編

「北斎漫画」とは、北斎55歳の時に刊行された画集で、1878年までに15冊が発行されました。約4千図の中には人物や風俗図、動植物、妖怪にいたるまで様々なジャンルの図柄が描かれており、まさに「絵の百科辞典」と言うにふさわしく、フランスの印象派など海外の芸術家へ影響を与えたことでも知られています。 北斎の絵手本の代表作。

 この展覧会では、門外不出の版木を初公開され、その版木から摺りなおされた各図とともに展示されています。人気を誇った「北斎漫画」の版木は何度も修復され、元の版木の半分以下の薄さになっているものもあるとか。時の年輪と日本の伝統美術の裏側の奥深さを感じました。