蒔絵 Japan

宮殿を飾る 東洋の煌めき
「蒔絵Japan」 チラシ

サントリー美術館 (東京)
 :2008年12月23日〜2009年1月26日

※京都展
  京都国立博物館:2008年10月18日〜12月7日
 
 フランスのヴェルサイユ宮殿美術館などが所蔵するマリー・アントワネットのコレクションをはじめ、イギリスのヴィクトリア&アルバート美術館、ドイツのピルニッツ宮殿、スウェーデン王室などに残された貴重なコレクション、国内からも国宝や重要文化財を含む数々の名品が展示されました。
 18世紀のヨーロッパの王侯貴族の宮殿や邸宅にシノワズリと呼ばれる東洋の工芸品が美しく飾られましたが、その中でも日本の漆は「japan」と呼ばれ珍重されました。その時代のゴージャスかつ緻密な調度品のほか、ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアやその娘のマリー・アントワネットが大切にした小さくてキュートな蒔絵コレクションなど見ごたえのある展示がたくさんでした。
 また、今回の展示会では、日本での「蒔絵」の誕生から西洋の宮廷文化における蒔絵の流行からその後まで、蒔絵の歴史が丁寧に解説され、芸術と歴史を同時に愛する者にとっては満足感の高いイベントでした。約240点以上もの展示品がありましたが、気になったものはメモを取りながらじっくり鑑賞しました。日本とヨーロッパの美術や歴史が大好きな私にとってとても有意義な美術展でした。

サントリー美術館入口 「蒔絵Japan」

「蒔絵」は、ウルシの樹液と金属粉を用いて文様を表現する工芸技法。元々は大陸で生まれたものですが、日本で独自の発展を遂げました。
 漆を肉厚に盛り上げて金粉を蒔く「高蒔絵」と平たく装飾する「平蒔絵」があり、さらに「研出蒔絵」「沃懸地」「梨地」など様々な技法があります。

第1章 「中世までの日本の蒔絵」

第1章では、日本における輸入漆器の誕生前の蒔絵の変遷が紹介されました。
 蒔絵は高価な金や銀を使い、手間のかかる貴重な工芸品なので、所有できたのは宮廷や寺社、貴族など一部の特権階級のみでした。専属の技術者集団が仏舎利を収める箱や厨子、経箱、奉納品、宮廷での調度品などを格式に則って制作しました。
 今回の展示品は右の冊子箱をはじめ国宝や重文クラスの貴重な品々が展示され、平安時代に始まって鎌倉・室町時代など、それぞれの時代の最高芸術を堪能できました

宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱 浮線綾螺鈿蒔絵手箱 (蓋裏)
浮線綾螺鈿蒔絵手箱 (蓋裏)
《国宝》 宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱
    
 (仁和寺 平安時代)

空海が唐から持ち帰った経典を納めるため、919年に醍醐天皇が空海の没後に作らせた経箱。植物系文様の宝相華唐草文と人頭鳥身の想像上の生物である「迦陵頻伽(かりょうびんが)」を金銀の蒔絵であらわした箱。

小倉山蒔絵硯箱
《重文》 小倉山蒔絵硯箱
    
 (15世紀 室町時代)
第2章 「西洋人が出会った蒔絵」  高台寺蒔絵

 豊臣秀吉の天下統一後、京都では城郭や寺院が多く建てられ、豪壮好みの武将たちは室内の内装を煌びやかに飾るようになりました。そして、日用品や調度なども装飾性の高い品々が好まれるようになり、華やかな文様を凝らした蒔絵が施されました。黒漆に金粉を撒くだけの「平蒔絵」、文様に梨地を用いた「絵梨地」、漆が乾く前に針で引っかいて模様をつけた「針描」などの技法を用いて、格式と装飾性の高い実用品が制作されました。この時代の蒔絵を「高台寺蒔絵」と呼びますが、その呼び名は秀吉の正室・北政所が夫の菩提を弔うために建立した高台寺に由来しています。
 桃山時代に来日した南蛮人も、東洋的な独特の華やかさを持つ「高台寺蒔絵」に魅了されたそうですが、西洋芸術とはまた違った日本の雅な美の世界を堪能することができます。

南蛮屏風
秋草蒔絵鏡台

《重文》 秋草蒔絵鏡台 
(桃山時代 サントリー美術館)

《重文》 南蛮屏風 (桃山時代 伝狩野山楽筆)
            菊枝桐紋蒔絵提子

《重文》 菊枝桐紋蒔絵提子 
(桃山〜江戸時代初期 高台寺)  


第3章 「大航海時代が生み出した蒔絵」   南蛮漆器

 16世紀にはキリスト教の布教を目指すイエズス会の宣教師やポルトガルやオランダの商人たちが日本に続々とやってきました。日本の蒔絵に魅了された彼らは、蒔絵を施した祭礼具や調度品を注文し、それを本国へ持ち帰ったり、他国へ輸出するようになったそうです。彼らは日本の蒔絵をそのままヨーロッパに持ち出したのではなく、ヨーロッパの人たちの好みにマッチし、その生活に合うような実用的なアイテムを日本の漆職人たちに注文するようになったため、今までの日本の蒔絵とは違った「南蛮漆器」というカテゴリーが誕生しました。
 また、南蛮人は日本だけでそれを作らせたわけでなく、寄港地ごとに現地の工芸技術を使って同じ規格の祭礼具や調度品を作らせたそうです。南蛮漆器は、まさに大航海時代の生んだグローバル規格の芸術品となりました。

 この時代の蒔絵は、黒漆地に金の平蒔絵と螺鈿を組み合わせ、全体に余すところなく文様を散らしているのが特徴です。 エイの皮を使ったり、貝を装飾に使用しているものなどもあります。

IHS草花蒔絵螺鈿聖餅箱 IHS花入籠目文蒔絵螺鈿書見台

 IHS草花蒔絵螺鈿聖餅箱
(桃山時代 サントリー美術館)

 IHS木彫彩色箔押書見台
      (インド 17世紀)
文様を木彫りして赤と緑の顔料を塗り、金箔を貼っている。中央の「IHS」はイエズス会の紋章

キリストの身体を象徴しているパン(オスチア)を入れる容器。オスチアはミサで使用される。

IHS花入籠目文蒔絵螺鈿書見台
(桃山時代  京都国立博物館)


花鳥蒔絵螺鈿聖龕 (三位一体像) 花鳥蒔絵螺鈿洋櫃

花鳥蒔絵螺鈿聖龕 三位一体像
 (桃山時代  京都国立博物館)

花鳥蒔絵螺鈿洋櫃 
(江戸時代 京都国立博物館)


   聖龕 (せいがん)・・・キリストの磔刑図や聖母子像などを収める厨子
   聖餅箱 (せいへいばこ)・・・ミサで使われるパン(オスチア)を入れる容器
   書見台 (しょけんだい)・・・祈りの際に聖書をのせる台。

第4章 絶対王政の宮殿を飾った蒔絵   紅毛漆器

 桃山時代には盛んだった南蛮貿易ですが、宣教師同士の対立や商人の思惑が絡み合いなどから、日本の外交政策は次第に状況が変わっていきました。17世紀初めには禁教令が出され、徳川幕府のもとでスペインとポルトガルは国外追放となりました。ヨーロッパとの交易はオランダが独占され、、輸出される漆器の様式も次第に変化していきました。
 この新しい様式は「紅毛漆器」と呼ばれ、ヨーロッパでの漆器の人気はさらに高まり、王侯貴族たちが競って買い求めました。特徴としては、螺鈿の使用が減り、黒漆部分の余白を生かした絵画的なデザインが多くなりました。また、平蒔絵に加えて黄金を使った高蒔絵が多用され、より豪華で気品あふれる品々が制作されました。
 このコーナーには、このイベントの目玉ともいえる見事な展示品がズラリと並び、成熟した宮廷文化のエスプリを感じながらじっくり鑑賞しました。


ファン・ディーメンの箱

 ファン・ディーメンの箱
 (江戸時代 1636−39年制作 ヴィクトリア・アルバート美術館 )

バタヴィアの総督アントニオ・ファン・ディーメンの妻マリアのために作られたもので、蓋の裏側には、「MARiA,UAN,DiEMEN」と蒔絵で描かれているそうです。後にポンパドゥー夫人の所蔵となったことで知られている品。李朝風の牡丹唐草の縁文様に源氏物語の断片が描かれており、日本と中国の文化の入り混じったデザインが興味深い。これぞオリエンタル!?


 見た途端に、驚嘆の見事さでした。なんて、細かい細工なんでしょう!
 マザラン公爵家はルイ14世の宰相マザラン枢機卿の姪の夫のために創設され、マザランの姪がこの櫃を枢機卿から相続したというルーツを持つ一品です。
 正面には、源氏物語の「賢木」「蓬生」「胡蝶」などの絵物語の断片が散りばめられ、左側面には『源氏物語』の「野分」の留守模様、右側面は曽我物語の「富士の巻狩」、そして背面には狩野派の「竹虎図」が配されています。
 手を抜いたところのない緻密さは、日本の国宝にも匹敵する輸出漆器のなかの最高級品といえます。4年がかりの修復を終え、初めて一般公開されたそうで、ガラスケース入りの展示でした。

マザラン公爵家の櫃
(江戸時代1640年頃 ヴィクトリア・アルバート美術館)マザラン公爵家の櫃

※マウスを画像に乗せると櫃の前面の拡大写真が見れます。

山水花鳥蒔絵螺鈿箱 (トイレットボックス)

山水花鳥蒔絵螺鈿箱 《(トイレットボックス》
(ヴェルサイユ宮殿美術館)
 花唐草に縁取られ、金梨地に窓枠をとって花鳥や山水を描いた優美なこの小箱は、マリー・アントワネットの所有していたとされる簡易トイレ「おまる」です。箱の内部は赤いビロードで朱塗りで、陶製の便器が納められています。17世紀中頃に日本から輸出用としてフランスに渡ったと考えられるものなのです
 このトイレットボックスは、フランス革命までは王族のコンデ公の館にあったそうですが、フランス革命の際に政府に没収されました。1867年のパリ万博の時に「マリー・アントワネット展」で展示されたそうですが、今回はそれ以来140年ぶりの一般公開だそうで、きわめて貴重な鑑賞となりました。


    楼閣山水蒔絵コモド
    (17世紀末 ヴィクトリア&アルバート美術館)

 紅毛漆器の初期の家具は、箪笥や櫃を台に載せるだけのものでしたが、18世紀のフランス宮廷ではそういったシンプルな形状の家具は時代遅れとなりました。古い調度から表面の蒔絵を厚さ数ミリだけ剥ぎ取り、ロココ様式の最新の家具に貼り付け、金銅製のマウントで飾り立てる様式が確立しました。
 この展示会の目玉ともいえるこの豪華な引き出し箪笥は、ルイ15世様式の典型例でベルナール・ヴァン・リザンブール2世の作と推定されています。

楼閣山水蒔絵コモド


楼閣山水蒔絵ポプリ入れ

      楼閣山水蒔絵ポプリ入れ
(17世紀末 ロスチャイルド・ファミリー・トラスト・ワデストン・マナー)

 この独特の形をしたポプリいれは、輸出用に作られた蒔絵の皿と壺を組み合わせ、芳香剤を入れる置物に仕立てられたもの。ロココ時代には、磁器や象牙、クリスタルなどとともに漆器もヨーロッパの彫金細工を加えられて華麗な飾り物に変身しましたが、壷は珍しく貴重な一品。
 1882年にハミルトン公爵が売却し、ロスチャイルド家のコレクションとなりました。ワデストン・マナーは18世紀にロンドン郊外に建てられたロスチャイルド家のおもてなしのための邸宅。



第4章 蒔絵の流行と東洋趣味

 蒔絵が貴族の居室を飾るようになった背景には、後に「シノワズリ」と呼ばれることになる東洋趣味の流行がありました。「シノワズリ」は直訳すれば「中国趣味」となりますが、当時のヨーロッパの人々は日本も中国もインドも区別せずに“東洋”としてひとまとめにしていました。日本の蒔絵は英国では「ジャパン」と呼ばれましたが、フランスでは「中国のラッカー」、ドイツでは「インドのラッカー」と呼ばれていたそうです。
 西洋の人々は未知の東洋に理想郷のイメージを重ねながら独自の東洋像を作り上げ、それが西洋のものと異質であればあるほど熱狂しました。そうした東洋に対する憧れや好奇心が18世紀のロココ趣味と融合し、新しい芸術を生み出しました。日本の蒔絵はヨーロッパのワニスの技法で模倣されるようまでになり、英語で「ジャパニング」と呼ばれる工芸品が登場しました。そうした流行は東洋の様式そのものにも影響を及ぼし、ヨーロッパでの流行に合わせた様式の輸出品が東洋で生み出されるようになりました。


  唐子ジャパニング書き物机
  (1749〜50年 パリ装飾美術館)

 フランスやドイツの宮廷ではおかかえの職人がワニスの技法を使って日本の蒔絵を巧妙に再現した調度が製作されるようになりました。この書き物机は、18世紀にパリでニス職人として活躍したマルタン一族の職人がルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人のために作ったものとされています。
 鮮やかなブルーは日本の蒔絵にはない色で、その図柄は東洋的ながら雰囲気は西洋風で、結果的に和洋折衷のデザインになっています。


楼閣山水蒔絵水注

 楼閣山水蒔絵水注
  (江戸時代 京都国立博物館)

 磁器に銀細工を施したイスラム圏の水注を模したもので、偶像を嫌うイスラム圏に輸出するために、図柄に人物を一切登場させていないのが特徴となっています。
 そういえば、「トプカプ宮殿の至宝展」を紹介した時にこのような水柱が数点展示されていました。


第6章 王侯のコレクションと京の店先


 オーストリアのハプスブルク家の女帝マリア・テレジアは「私は、ダイヤモンドより漆器よ」と言って、日本の絵を愛し、一家の住居であったウィーンのシェーンブルン宮殿にも「漆の間」を設けたほどでした。そんな母親の影響を受けて、フランスのブルボン家に嫁いだマリー・アントワネットも漆器好きで、マリア・テレジアから50点もの蒔絵を相続すると、さらにコレクションを増やしていき、そのマリー・アントワネットのコレクションはヨーロッパでも質量と随一のものとなりました。
 そのコレクションは注文にあつらえた物だけでなく、日本で一般向けに流通していた小型漆器も含まれていました。町人文化が発展して生活水準も上がっていた江戸中期には、富裕層向けに小型の洗練された工芸品が流通するようになり、蒔絵が町の店先でも売られるようになっていたのですが、海外コレクションの存在によって明らかになるまではあまり知られてなかったそうです。 


マリー・アントワネット
マリー・アントワネット

 このコーナーでは、ヴェルサイユ宮殿美術館、ギメ東洋美術館、ゴータ・フリーデンシュタイン城美術館、スウェーデン王室、バーリーハウスのコレクションなどからたくさんの蒔絵が里帰りして展示されました。珍しい形のものや遊び心いっぱいの品など個性的な展示品がずらりと並びました。


源氏絵巻硯箱 蒔絵瓜形香合 蒔絵鶏形小重箱

源氏絵巻硯箱 
(江戸時代 ギメ東洋美術館)

蒔絵瓜形香合 
(江戸時代 ヴェルサイユ宮殿美術館)

蒔絵鶏形小重箱 
(江戸時代 ヴェルサイユ宮殿美術館)



第7章 そして万国博覧会

 フランス革命などを経て19世紀前半までに絶対王政が崩壊すると、ヨーロッパ諸国の王侯貴族のコレクションは競売にかけられ散逸しました。そんな折、世界各地で万国博覧会が開催され、日本の蒔絵が飛ぶように売れていました。一方、日本では江戸期の幕藩体制が崩れると、国内の蒔絵の需要が極端に落ち込み、多くの職人たちはその活路を輸出漆器に見出しました。
 そんな情勢の中、他国に先駆けて産業革命を成し遂げたイギリスを皮切りに、19世紀末から20世紀前半にかけては他のヨーロッパ諸国やアメリカでも愛好家たちが様々な蒔絵を収集しました。そんな愛好家たちのコレクションを代表して、イギリスのヴィクトリア&アルバート美術館や大阪市立美術館のカザールコレクションを中心に様々なバリエーションの蒔絵が展示されました。


象唐子蒔絵香箪笥 梅蒔絵結び文形香合

象唐子蒔絵香箪笥
明治時代 大阪市立博物館カザールコレクション)

梅蒔絵結び文形香合
(江戸時代 ヴィクトリア&アルバート美術館)