「THE ハプスブルク」 「THE ハプスブルク」

国立新美術館で開催中の「THE ハプスブルク」に行ってきました。歴史関連書籍などでおなじみの歴代皇帝や皇妃エリザベートの肖像画を始め、ハプスブルク家の貴重なコレクションが数多く展示されました。イタリア、ドイツ、スペインなどの絵画コレクションのほか、工芸品なども素晴らしい展示でした。
 何回かに分けて主だった作品をご紹介し、その全容をご紹介できたらな、と思います。

ハプスブルク家の肖像画


西洋史好き、ハプスブルクおたくの私、会場に入ってすぐ心躍りました。展示の最初はハプスブルク王家の肖像画のコーナーでした。
 ハスブルク家は、統治者としての自分たちを正当化し、権威を高めてくれる手段として、絵画のジャンルの中でも肖像画を高く位置づけていたそうですが、芸術的にも素晴らしい作品が揃っていました。画像では見慣れている肖像画たちも、絵画として生で見ると生き生きと輝いて見え、違った感動がありました。そして、その人となりが伝わってくるような深い洞察力と描写力に驚かされるものがありました。


「神聖ローマ皇帝 ルドルフ2世」

 細長い面ざしと突き出た顎―。ハプスブルク一族の顔の特徴がよく表現されたルドルフ2世の肖像画が展覧会のトップを飾っていました。大帝国を治める皇帝としては少々風変りな人物だったルドルフ2世ですが、その人となりを伝えるという点で優れた肖像画と言えます。
 ルドルフ2世は政治には無関心だったと言われ、常に野心的な弟のマティアスの政治的圧力を受け続け、36年にも及ぶ長い治世の間、帝国の統治者としての権力は不安定でした。しかし、文化人としては一流で、ハプスブルク家の芸術コレクションを語る上では外せない人物です。学問や芸術をこよなく愛し、多くの芸術家を保護し、ルドルフの時代にプラハは芸術の都として大いに発展しました。この肖像画を描いたハンス・フォン・アーヘンもルドルフのプラハの宮廷で活躍した肖像画家です。また、ルドルフ2世は錬金術に特別な興味を持ち、多くの錬金術師のパトロンとなっていたのだとか。 

「神聖ローマ皇帝 ルドルフ2世」
ハンス・フォン・アーヘン 1600―03年


「11歳の女帝マリア・テレジア」

 私にとって、ハプスブルクと言って最初に思いつく人物がマリア・テレジアで、そして、その憧れのイメージがこの少女時代の肖像画でした。
 私をはじめ歴史好きな女性にはハプスブルク好きが多いですが、それにはこの女帝マリア・テレジアの存在が大きいのではないでしょうか。マリア・テレジアは、由緒ある神聖ローマ帝国皇帝の長女として生まれ、うら若き20歳前後でその統治者となり、16人の子の母となりました。帝国を統治することも、16人の母になることも普通の人間には途方もないことだけど、この女性はそれをやってのけたのです。しかも、フランツ・シュテファンという夫を終生愛し、家族愛にも恵まれました。類まれな美貌で権力者を虜にした女性は数多くいますが、政治家としても男顔負けで、女性としても人並み以上という人物は他に思いつきません。マリア・テレジアという女性には、無限のエネルギーとロマンを感じるのですが、それとともに、荒々しいドラマの繰り返される歴史の中にあって安らぎを感じさせてくれる特別な存在でもあるのです。

 そんな憧れの女性、マリア・テレジアの肖像画は晩年の貫録十分なものが多く、女帝自身のイメージも逞しい統治者としてのイメージが先行しがち。女帝の女性としての魅力を十分に伝える肖像画が少ない中、この11歳の少女時代のマリア・テレジアは、可憐で清潔感あふれる美しさと意志の強さを感じさせ、まさに女帝マリア・テレジアの魅力を十二分に伝えています。いろんな人物の肖像画の中でも以前からお気に入りの1つです。
 会場で実際にこの肖像画と対面してみたところ、額縁があまりにシンプルだったのが少し意外だったのですが、知性を感じさせる整った面ざしはとても美しく、吸い込まれるような輝きを放っていました。また、落ち着いた深緑のドレスの質感や光沢と美しい白い肌のバランスもよく、絵画としての魅力も申し分ない作品でした。

「11歳の女帝マリア・テレジア」
アンドレアス・メラー 1727年


「オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」 「ハンガリーの軍服姿の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」

「オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」
ヨハン・シュロッツベルク  1865‐70年頃

「ハンガリーの軍服姿の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」
ミハーイ・ムンカーチ  1896年

 ハプスブルクの皇帝の中でも私の敬愛するフランツ・ヨーゼフ1世の肖像画が2枚出品されていました。どちらもとても見応えがありました。フランツ・ヨーゼフというと「シシィ」こと皇妃エリザベートの夫として知られていますが、19世紀から20世紀にかけての激動の時期に沈みゆく帝国の統治に生涯を捧げたハプスブルク家歴代皇帝の中でも名の知られた人物です。まだ暗いうちから一人で執務室にこもって膨大な書類に目を通し、孤独な皇帝としての責務を果たし続けた勤勉で実直な皇帝です。華美なところもなく、いわゆる英雄的な偉大さとは無縁なのですが、一つの理想的な君主像として私の中に存在しています。

 今回はフランツ・ヨーゼフ帝の肖像画が2つ展示されていたのですが、どちらも素晴らしく絵の前でしばし見入ってしまいました。左の肖像画のフランツ・ヨーゼフは35〜40歳。シシィと婚約・結婚した頃の若き日のフランツ・ヨーゼフの肖像画はよく見るのですが、その当時に比べると威厳が増していて皇帝として脂の乗り切っているような雰囲気です。この肖像画の皇帝は戴冠式用の礼服を着用し、オーストリアの家章の首飾りをかけ、マリア・テレジア勲章の肩帯を身につけています。立派な口髭のせいもあるかもしれませんが、皇帝としての権威を象徴する煌びやかな衣装や装飾具に負けていない威厳を身に付けています。

 そして、また右側の老皇帝の肖像画の出来が素晴らしい! ムンカーチという画家の名前はそう有名ではありませんが、皇帝の人となりを映し出し、まるで皇帝がそこに存在しているかのような描写力には驚きでした。
 フランツ・ヨーゼフは公務の時だけでなく、普段の執務の時にも好んで軍服を着用していたそうですが、解説によるとこの軍服はハンガリー風の装いをしたオーストリア元帥の正装姿だそうです。その軍服の紐やベルトなどの艶や質感も見事で、その重みのある筆致に吸い寄せられるように細部まで見入ってしましいました。
 この肖像画の描かれた1996年、フランツ・ヨーゼフは66歳。以前にも増して実直で堅い表情、そして額や目元の深い皺に目がいきます。長年の皇帝としての責務や家庭内の度重なる不幸などで疲弊しきった皇帝の苦難を感じさせます。30年近く前の1867年にもメキシコ皇帝となった弟のマクシミリアンの暗殺という苦悩を味わいましたが、この7〜8年前には長男のルドルフの心中事件があり、代わって皇太子となった甥のフランツ・フェルディナンド大公との確執など、心休まる時がありませんでした。そして、この2年後には最愛の妻・シシィ(皇后エリザベート)の暗殺という悲劇も待っています。



 美貌で知られた「シシィ」こと皇妃エリザベートは数多くの肖像画が残されていますが、透き通るような白のドレスと星型の髪飾りが印象的なこの優雅な立ち姿のシシィの肖像画はあまりにも有名です。皇妃としての気品と美しさを十分に表現したこのエリザベートの公式肖像画は複製がたくさん制作されたそうで、それによってエリザベートの美しさが広く知られるようになったそうです。
 この肖像画を描いたヴィンターハルターは当時のヨーロッパで一番有名な宮廷画家で、イギリスのヴィクトリア女王やフランス皇妃ウージェニーはじめ数々の王侯の肖像画を手掛けていました。

 この公式肖像画の中のエリザベートは、パリのデザイナー、チャールズ=フレデリック・ワースの夜会服を着て、特注の星型のダイヤの髪飾りをつけています。1837年生まれのエリザベートは28歳。可憐さと成熟した大人の落ち着きをヴィンターハルターは見事に表現しています。
 また、ヴィンターハルターは、このエリザベートの肖像画と対をなすフランツ・ヨーゼフ帝の公式肖像画も描きました。忙しい時間を縫ってモデルを務めた甲斐があって、皇帝も十分満足できるものだったそうです。

 ヴィンターハルターはこの作品を含めエリザベートの肖像画を3点描いたそうですが、この肖像画以外の2点は私的な性格のものだったそうです。いずれの肖像画もエリザベートによく似ており、フランツ・ヨーゼフも大変気に入っていたそうで、髪を下ろした2枚の肖像画は皇帝の執務室に飾られていたそうです。(右下の2枚) 
 旅に出ることの多かったエリザベートに皇帝は毎日のように手紙を書いていたそうですが、皇帝はこの肖像画を眺めながら遠く離れた愛妻のことを常に思い、恋しさを募らせていたのかもしれません。

「オーストリア皇妃エリザベートの肖像画」
「オーストリア皇妃エリザベート」
フランツ・クサファー・ヴィンターハルター  1865年
ヴィンタハルターの描いたエリザベートの肖像画 2作品
(参考)

※肖像画の展示されていたその他のハプスブルク家の人物は、女帝マリア・テレジアの父である皇帝カール6世、女帝の長男であるヨーゼフ2世、そのヨーゼフ2世の実弟レオポルト2世の長男・皇帝フランツ2世。いずれも歴史関係の書籍でおなじみの肖像画でした。


美術収集室の美術工芸品

 大航海時代以降、ヨーロッパの王侯の間では、世界から珍しいものや美しいものを集め、屋敷の中に設けられた収集室に飾ることが流行しました。これらの収集室は「驚異の部屋」(クンストカンマー)と呼ばれ、自然物や人工物、手の込んだ精巧な美術工芸品まで幅広い逸品・珍品のコレクションが陳列されました。こうしたコレクションブームは16世紀から17世紀にかけて全盛期となり、ドイツやオーストリアのなどのドイツ語圏でも大流行。18世紀の女帝マリア・テレジアの時代にも多くの豪華で手の込んだ美術工芸品が制作され、「帝室宝物収集室」のコレクションは量・質ともに充実しました。
 これらはハプスブルクの人々が自ら注文したものもあれば、皇帝への贈答品としてコレクションになったものもありました。今回の展示では、日本からウィーンのオーストリア皇帝へと贈られた貴重な芸術作品も初公開となりました。


「ココナッツ脚杯」 ミヒャエル・ケーベルリン
1568−70年頃

「ココナッツ脚杯」

 マルコ・ポーロもココナッツ・ミルクの効能を大いに称えたことで知られたように、16世紀にはココナッツは薬効のあるものとして珍重されていました。サナダムシや熱病、腎臓や膀胱疾患に効き、媚薬としても用いられていたそうです。また、ココナッツの殻は、毒薬の存在を知らせる働きがあると18世紀まで信じられていたそうで、飲み物の容器としてよく用いられたとか。
 この展示のような蓋付きの杯は、16世紀後半に南ドイツ地域で一般的だったデザインだそうで、容器の本体として利用されているココナッツの殻には、古代風の浅浮彫で騎兵が描きこまれています。


シャーベット用センターピース

 女帝マリア・テレジアの母である皇帝カール6世妃のマリア・クリスティーネの持ち主とされているこの豪華で可憐なセンターピースは、一家の人々の記念碑的な性格を持っている大変興味深い一品です。
 カメオと金の装飾で形づくられたこのセンターピースは、先端に人物像のカメオを配した6つの腕からなっており、それぞれに金の細工を施された小さなシャーベット用の杯が掛っていています。
 6つの肖像画は、マリア・クリスティーネと夫の皇帝カール6世のほか、夫妻の3人の娘―マリア・テレジア(後の女帝)、マリア・アンナ、マリア・アマリアです。そして、残るもう一人はマリア・テレジアの夫となるロートリンゲン公フランツ・シュテファン。彼は、他の人々と異なり、金の侯爵帽のみを着用しているそうで、皇室の直系の出身でないことを表現しているのだとか。
 フランツ・シュテファンがマリア・テレジアと結婚したのが1736年で、カール6世が崩御したのが1740年なので、その時期に制作されたものと思われます。

「シャーベット用センターピース」
1736‐40年


「掛時計」 「掛時計」  1700年頃

 白みがかり、所どころ、半透明の石英部材をいくつか組み合わせた環状の板の表面に、様々な玉石でできた果物がはめ込まれています。上部ではウソドリが桜桃を、下部ではゴシキヒワがプラムをつついています。 このプラムと右側のブドウは研磨された紫水晶で、丸く浮き上がり、艶やかな立体感で、平面から浮き上がっています。
 これらの細工は、フィレンツェの工房で盛んに制作されていた「コンメッソ・イン・リリエーヴォ(浮彫象嵌細工)」と呼ばれる技法だそうです。


次回更新に続きます!