「国立トレチャコフ美術館」という美術館の名前は知らなかったのですが、なかなか素晴らしい評判を聞いて私も行ってきました。 この美術館は、モスクワの実業家であったトレチャコフ兄弟が1851年に収集したロシア絵画を展示する美術ギャラリーを自宅に設けたのが始まりだそうで、現在は約10万点の作品を所蔵するロシアを代表する美術館に発展しています。なかでもトレチャコフ兄弟が熱心に収集した19世紀後半から20世紀初頭にかけての作品は傑作揃い。その中から、今回はロシアの代表的画家であるレーピンやクラムスコイ、シーシキンなど38人の75点の作品が展示されましたが、このうち50点以上が日本初出品だそうです。 |
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展示は第1章から第5章までに分かれていて、それぞれ時代背景や美術史の流れなどが解説がされていましたが、なじみがないこともあって、最初はあまりピンときませんでした。そこで、自分が作品を見て感じたを織り交ぜて書いていきたいと思います。 展示の序盤はロシアの原始的な風景を背景に描かれた作品が多く展示されていました。 第1章のテーマは「抒情的リアリズムから社会的リアリズムへ」、続く第2章は「日常の情景」。そのテーマの通り、当時のロシアの民衆の様子がありのまま描かれています。その描写はどれも素晴らしく、現実をそのまま映し出しているようです。 彼らの描き出すロシアの自然は、フランス絵画などの豊かな自然を描いた風景画とは違っていて、美しいというよりも粗野で寒々とした雰囲気。それがロシアらしくも思えますが、その物悲しさは寒々とした自然だけでなく、そこに描かれた人々からも感じました。絵画の中に登場している人たちは、幸せそうでもなく、どこか憂鬱そうなのが気になりました。ここには作品を紹介していないのですが、特にワシーリー・バクーシェーエフの「ありきたりの日々」という作品は、食卓に座る家族3人がみんなつまらなそうにそっぽを向いていて、逆に興味を引き付けられました。 歴史的にみても、当時のロシアは帝政末期の不安定な時代で、民衆は耐えることばかりの苦しい日々だったと思われます。これらを描いた画家たちそんなロシアの真実をとらえ、絵に残すことによって何かを伝えたかったのかもしれません。私なりにそんなことを考えながら、展示作品を鑑賞しました。 第3章は「リアリズムにおけるロマン主義」。ロシアのロマン主義といえば、後期ロマン派に属する作曲家チャイコフスキーを思い出しますが、私が「ロシア」から一番にイメージするのはまさにチャイコフスキーの哀愁に満ちたメロディです。チャイコフスキーの楽曲は抒情的でメランコリックな曲調が特徴で、どこか民族的な香りがします。展示作品もまさにチャイコフスキーのメロディ似た哀愁に満ち溢れています。 チャイコフスキーは、1840年の生まれで、ちょうど今回出品された画家たちと同年代。同じ時代に生きた音楽家と画家たちは同じ時代に生き、故郷を憂い、それぞれにそれを表現したのかと思うと感慨深いものがありました。 あまり詳しいことを知らずに展示作品を鑑賞していた私でも、彼らの作品からそういったことを読み取れたのですが、批判的精神を持って写実的な絵画を描いた彼らは、やがて「移動派」と呼ばれる画家集団に発展していったそうです。 ロシアの豊かな森を題材にした多くの作品を残したイワン・シーシキン。「森の散歩」という作品には、太陽の光を黄色ぽく表現し、それまで見てきた作品とはちょっと違った温かみを感じました。散歩をしている人が小さく描かれていますが、優雅な雰囲気を醸し出しています。 その下の「雨の降る前」を描いたのフョードル・ワシリーエフは、シーシキンの義弟にあたるそうですが、23歳の若さで早世してしまったそうです。非凡な才能を持っていたそうで、短いキャリアが惜しまれます。 アブラハム・アルヒーポフの「帰り道」は、今回の展示の中で特に印象に残った作品のひとつです。誰かを乗せて街まで送り届けた後、一人のんびり帰っている途中の御者の後姿を描いていますが、至近距離から御者の後姿を描いた構図が斬新でした。絵を見るものも御者の進む道を同じように見渡せるので一体感を感じることができ、臨場感のある作品に仕上がっています。 |
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ワシリー・ペローフ 「眠る子どもたち」 |
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ワシリー・ペローフ 「鳥追い」 |
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イラリオン・プリャニシニコフ 「空っぽの馬車」 |
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イワン・シーシキン 「森の散歩」 |
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フョードル・ワシリーエフ 「雨が降る前」 |
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アブラヒム・アルヒーポフ 「帰り道」 |
続いて、私も初めて知った「移動派」と呼ばれた画家たちについて説明したいと思います。彼らは官立美術アカデミーの制約に抗議したロシア・リアリズム美術の画家集団で、アカデミーから追放された14人の芸術家により1863年に結成されたそうです。今回の一番の注目作の「忘れえぬ人」を描いたクラムスコイが指導した「美術家組合」を前身とし、クラムスコイが「移動派」の中心的人物だったそうです。「移動派」と呼ばれるのは、ロシア各地で巡回美術展を主催したことに由来しているそうですが、1871年から1923年にかけて48回ものの移動展覧会を開催したそうです。 ウッキペディアの「移動派」のページのリストでチェックしてみると、指導的立場だったクリムコイほか今回作品が出品された画家の中で多くの画家たちが「移動派」に名を連ねていました。 アレクセイ・サヴァラーソフ、イラリオン・プリャニシコフ、ワシリー・ペローフ、イワン・シーシキン、ワシリー・マクシモフ、ウラジミール・マコフスキー、アルヒープ・クインジ、イサーク・レヴィタン、アブラヒム・アルヒーポフ、ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン、ワシリー・スーリコフ、イリヤ・レーピン、イワン・クリムスコイ、ワシリー・ポレーノフ、ニコライ・ゲー、ニコライ・ヤロシェンコ、ワレンティン・セローフ、ニコライ・カサートキン。 出品リストの上からチェックしていきましたが、見落としがあるかもしれません。 社会への批判精神を持って写実的な作品を描いていた「移動派」の画家たちは、当時の政治的・社会的背景もあって、ロシア画壇において大きな位置を占めるようになり、民衆にも大きな影響を与えました。しかし、19世紀の最後ごろには次第に影響力が落ち、ロシアの美術界も新しい時代を迎えることになります。フランスの印象派などの影響を受けた外光派などの台頭が生まれたのでした。 |
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ワシリー・ヴェレーシャーギン |
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アルヒープ・クインジ 「エルブルース山 ―月夜」 ぱっと見て「富士山?」と思った幻想的な絵画。クインジは「光の詩人」と呼ばれるのもうなずけます。 |
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イワン・クラムスコイ 「髪をほどいた少女」 「忘れえぬ女」の10年ほど前に描かれたクラムスコイの作品で、女性を描いた絵画でも全く雰囲気が違います。 物憂げで不安そうな少女の表情の描写に19世紀後半のロシア・リアリズムが感じられる作品。 |
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今回のイベントのチラシにも使われており、この絵を見て会場に運んだ人も多いはず。それぐらいのインパクトのある絵でした。 場所はサンクトペテルブルクのネフスキー大通り。これまでの展示作品に登場してきたロシアの民衆とは全く服装も雰囲気も異なる女性が堂々と描かれています。描かれた人物が誰なのかが1883年に公開された時から憶測を呼んでいたそうで、皇帝に近い具体的な女性だとされている説やトルストイの『アンナ・カレーニナ』」やドストエフスキーの「白痴』のナスターシャを重ね合わる人もいたとか。解説によると、それらの文学のヒロインは行動と生き方によって当時のロシア社会のモラルやや慣行に挑戦した女性たちだそうで、クラムスコイはこの絵で混乱する社会に対して何かを訴えたかったのではないかということでした。 そして、絵の前に立って生でじっくり鑑賞してみると、この絵の不思議な魅力に取り付かれました。絵の右・中央・左と場所を変えてじっくりと鑑賞してみたのですが、どの場所から見ても、この女性が自分を見ているように見えるのです。まるで、本当にそこにいる人物であるかのように、視線が動くのです。そして、じーっとまっすぐ見下ろされているような、、、。 |
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イワン・クラムスコイ 「忘れえぬ女」 | |||||
その何かを見透かしたような視線は、何を表現しているのか、、、!? この「忘れえぬ女」は昔から日本でも人気があって、来日したときは大変話題になったのだとか。そして、この絵の原題は「見知らぬ女」だったそうですが、日本ではいつしか「忘れえぬ女」と呼ばれるようになったそうです。日本語の「見知らぬ女」ではちょっと芸がない気がしますが、「忘れえぬ女」という言葉はとても響きが良くて、絵の価値をさらに高めているかもしれませんね。 |
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「画家シーシキンの肖像」 |
「コンスタンチン・コンスタンチーノヴィッチ |
続く第4章は「肖像画」でした。肖像画このコーナーに入ると、今まで哀愁に満ちた雰囲気と赴きがだいぶん変化してきたのですが、特に、このイワン・クラムスコイの「忘れえぬ人」の存在感はスゴかったので、特別にご紹介しました。 そのほかの展示は、画家の肖像画や文豪の肖像画などが中心でした。第6章の「外光派から印象主義へ」のコーナーの展示作品も合わせて、いくつか気になった肖像画があったので、数点選んでご紹介したいと思います。 「移動派」の画家さんたちは仲が良かったんですかね。画家同士が描いた肖像画が数点展示されていました。代表して、クラムスコイの描いたシーシキンを紹介しました。これは野歩きの最中なのでしょうか? 肖像画という雰囲気ではなく、民族的な雰囲気で、絵画としても見ごたえがありました。 続く文豪さんたちの肖像画は、少々気難しい雰囲気で描かれていました。画像を紹介はしていませんが、イリヤ・レーピン作のツルゲーネフの肖像は怖いぐらいの厳めしさです。それに比べると、ヤロシェンコの文豪チェーホフはそこそこ好きな雰囲気です。 今回最多の8点が出品されていたのが、移動派の代表的な画家の一人 イリヤ・レーピンです。彼は30歳の頃にイタリアやフランスに遊学し、印象派に色と光の使い方を学んだそうですが、帰国後は移動派の主要メンバーとして活動し、肖像画家として主に活躍。ロシアの庶民の姿を多く描きましたが、後年には皇帝はじめ政治家や数々の社会的著名人の肖像画を手がけたそうです。 私が特に印象に残ったのは「コンスタンチン・コンスターチヴィッチ大公の肖像」です。彼は皇帝ニコライ2世の叔父にあたる人物で、軍における最高官位に任命され、帝国科学アカデミーの総裁も務めたとか。公職だけでなく、詩人・劇作家・作曲家・俳優としも活躍したというからびっくり。あのチャイコフスキーもこの大公の詩でいくつかのロマンス曲を書いたのだそうです。ロシア皇族にもそんな多才で魅力的な人物がいたのか!とちょっと驚きでした。そんな大公の魅力を十分に伝えるかのようなレーピンの作品でした。 そして、左の「秋の花束」の女性は、レーピンの娘のヴェーラの20歳の肖像。レーピンは家族にも恵まれていたようで、「レーピン夫人と子供たち」「息子ユーリーの肖像」も出品されていました。ユーリー君も可愛いかったです。 また、レーピンは肖像画だけでなくロシアの革命運動をテーマにしたシリーズものなども描いたため、社会主義リアリズムの模範として神格化されていったとか。まさに帝政末期から革命に至るロシアの歴史を見届けた画家といえるのかもしれません。 最後の第6章の「外光派から印象主義へ」のコーナーの作品は、19世紀の終わりから20世紀初めに描かれたものです。明らかにフランスの印象派など他の国の絵画の影響を受けた様子が見てとれます。色調も明るくなり、穏やかな雰囲気の作品も増えています。見ていて安心感はあるのですが、逆にロシアらしさが薄くなってしまったかなぁとちょっと残念でさえありました。しかし、たくさんのロシア絵画を見てきたからか、ロシアの自然感みたいなものをつかんだような気がします。 それにしても、今までたくさんの美術展に行きましたが、画家を一人も知らないというのは今回が初めてでした。しかも、ロシア名は覚えにくくて、最初はみんな同じような名前のように感じてしまったのですが、このHPにまとめることで19世紀末のロシア絵画の流れをある程度学ぶことができました。また機会があったら、またロシア芸術の別の部分も味わってみたいと思います。 (2009・5・22鑑賞、6・3更新) |
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「文豪トルストイの肖像」 |
「文豪チェーホフの肖像」 |
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「劇作家レオニード・アンドレーエフの肖像」(上)と「秋の花束」左) |
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「モスクワの中庭」 ワシーリー・ポレーノフ | |||||
「黄金の秋」 イリヤ・オストロウーホフ |
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「三月の太陽」 コンスタンチン・ユーオン |
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