→城内にある高等工業美術学校の壁面にあったヴィスコンティ家の紋章。
左から2番目は、城の中庭の内堀に昔、砲弾として使用されていた石の玉が置かれているところ。
美術館内部 | 鮮やかな天井の装飾画 |
宗教行事などの際に行なわれたパレートで使用されていた旗が展示されている部屋。旗には金糸で美しく飾った絹の刺繍が施されている。 |
城内の広場では馬を使った訓練などが行なわれ、 |
フィレーテの塔 | ||||
塔に備え付けられて装飾は比較的新しいもので、時計は約100年前に追加されたものだとか。 中央の白い石像はミラノの守護聖人である聖アンブロージョ。アンブロージョは4世紀にミラノの司教であった人物。 |
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ミケランジェロ ロンダニーニのピエタ |
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ミケランジェロの最後の作品となった「ロンダニーニのピエタ」。ミケランジェロが死の3日前まで彫り続けた未完の作品で、元はローマのロンダニーニにあったことからそう呼ばれるようになった。 |
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ミラノ旧市街の北西部の広大なセンピオーネ公園の入り口に建つスフォルツェスコ城(スフォルッツァ城)は、元々は14世紀にミラノを支配していたヴィスコンティ家の建てた居城だった。その後、ミラノの支配者はスフォルツァ家に移り、1450年にミラノ公フランチェスコ・スフォルツァが城を改築した。 一辺が約200mの正方形に近い形をしており、正面のフィレーテの塔の周囲を回廊が巡り、内側に広い中庭のあるつくり。15世紀にはミラノにもルネサンス芸術が花開き、1482年頃から17年間レオナルド・ダ・ヴィンチもミラノ公ルドヴィーゴ・スフォルツァに仕えて城の装飾に携わりましたが、スフォルツェスコ城の佇まいはルネサンス君主の優雅な居城というより、中世の堅固な要塞の赴きを漂わせています。 元々、北イタリアは諸侯の勢力争いの耐えない地域でしたが、15〜16世紀のイタリアはフランスや神聖ローマ帝国などヨーロッパの各国が覇権を競った争いの場となりました。その中でもミラノはイタリア半島の玄関ともいえる場所に位置するため、多くの争いに巻き込まれました。そこで、歴代の君主たちによって城には防御のための改築が度々加えられ、17世紀の初めにはヨーロッパでも1、2を誇る堅固な要塞となったのです。しかし、1733年にルイ15世の率いるフランス軍の攻撃によって半壊し、1800年にはナポレオンに征服されて城壁の一部を取り壊されました。壊れた城が修復され原形を取り戻したのはそれから1世紀ほど経った19世紀末から20世紀初めの頃でしたが、その際にレオナルド・ダ・ヴィンチが装飾を施した「アッセの間」が発見され、注目を集めました。 現在、スフォルツェスコ城の内部は市立美術館として無料公開されています。(城の見学も無料) ミケランジェロ最後の作品である「ロンダニーニのピエタ」のほか彫刻コレクションやマンテーニャやティントレットをはじめとした絵画や衣装・工芸品などを数多く展示。そのほか、エジプト遺物を中心とした考古学博物館や楽器博物館など幅広いジャンルの展示がなされています。 |
Castello Sforzesco |
スフォルツェスコ城への入り口、「フィレーテの塔」とカステッロ広場の噴水 |
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「フィレーテの塔」と城壁 |
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