ノイシュヴァンシュタイン城
Neuschwanstein

 中世の騎士に強い憧れを抱いた孤高のバイエルン王ルートヴィヒ2世の夢の凝縮した絢爛豪華なおとぎの城。ドイツ南部・バイエルン州の南方、森に囲まれたホーエンシュバンガウに建設され、緑豊かな自然の景観の中に溶け込んだ白亜の城のシルエットはため息が出るほどの美しさ。バロック、ゴシック、ルネサンスなどあらゆる建築様式を取り入れられ、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルにもなりました。ロマンチック街道の終点フュッセンの近くにあり、ヨーロッパでも有数の人気観光スポットです。
 
 ルートヴィヒ2世は、即位から4年目の1868年に新しい城の築城を命じました。その新しい城の構想は、ホーエンシュヴァンガウ城で過ごした幼年期に傾倒を深めた中世の騎士道の伝統に沿ってルートヴィッヒの頭の中に生み出されたものでした。
 それにふさわしい場所としてルートヴィヒが選んだのは、生まれ育ったホーエンシュバンガウ城を目の前に臨む岩山の上でした。ホーエンシュバンガウ城は、ルートヴィヒの父マクシミリアン2世が1830年代に再建したものでしたが、ルートヴィヒが新しく城の建築を考えたのは、まさに再建される前のホーエンシュバンガウ城があった場所でした。その岩山を爆破して8mほど低くして、1869年9月に新たなルートヴィヒの城の建設が始められました。

 初めに王宮建築主任のエドゥアルト・リ-デルに城の建築が任されましたが、実際に城全体の設計を行うよう指名されたのは宮廷劇場の舞台装置・舞台美術を担当していたミュンヘンの画家クリスティアーン・ヤンクでした。
 この城はメルヘン王ルートヴィヒの夢の実現のために作られたものだったので、城全体が建築としてよりも一つの物語の舞台としてみなされ、徹底的に王の追い求めるメルヘンの世界を作り出すことが優先されました。したがって、本来王城の中心となる聖堂や礼拝堂、玉座を後回しにしても人工の洞窟を造るといった具合で、王自身が納得いくまで何回も変更を加えました。そして、ノイシュヴァンシュタイン城は、元々、ルートヴィヒ2世が敬愛するリヒャルト・ワーグナーに捧げる殿堂として作られ、ワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」「タンホイザー」「ローエングリン」などの世界が描き出されました。

 城の建築には何百人もの職人が従事していましたが、この時代には革新的な社会制度もあったそうです。建設従事者が病気や傷害で働けなくても賃金を保証する「職人協会」というものがあり、王自身が多額の援助をしていました。ルートヴィヒは多額の建築資金を王室費などの私財をつぎ込んで調達しましたが、それでは十分ではなく、多額の借金をしました。
 ノイシュヴァンシュタイン城の建築には約620万マルクかかったことが記録されていますが、物価などを考慮して算出すると現在の250億円ほどに当たるとか。これだけならまだしも、建築熱にとりつかれたルートヴィッヒは、ノイシュヴァンシュタイン城の建築中にリンダーホーフ城とヘレンキムゼー城の建築も始めました。それらを合わせると膨大な費用になり、お金に頓着のないルートヴィッヒは次から次に多額の借金をしていきました。

 ルートヴィヒ2世は若い頃は国政に対する意欲もありましたが、次第に政治的にも孤立し、心の拠り所だったワーグナーもこの世を去ると、極度の人間嫌いになって何より孤独を好むようになりました。数人の侍従以外は人を寄せ付けず、空想の世界に閉じこもり、ホーエンシュヴァンガウ城から建設中のノイシュヴァンシュタイン城を見上げ、その完成を心待ちにしました。
 1880年頃には城の主な部分が建設が終わりましたが、ようやく実際に住める状態になったのは1884年頃でした。そして、城はまだ工事中だったにもかかわらず、1884年5月から6月にかけて13日間、ルートヴィヒ2世が最初の滞在をしたとされています。
 それから2年後の1886年、ルートヴィヒ2世は失意の中、退位を余儀なくされたあげく、謎の死を遂げましたが、その間にこの城滞在したのは計172日だと言われています。そして、王の死後もノイシュヴァンシュタイン城の工事は続けられ、工事がすべて終了したのは1892年のことでした。
 注目すべきは、城は工事中だったにもかかわらず、1886年8月にはすでに城は一般公開されたということです。王の死から数週間後のことでした。入場料は当時の生活水準からするとかなり高価だったようですが、それでも公開後半年で1万8千人もの見学者がいたとか。やはり、現実の世界とかけ離れたメルヘン王ルートヴィヒの夢の城は、当時の人々にとっても一度はのぞいてみたい夢の世界。一気に人気の観光スポットになったようです。

  
  ★ ノイシュヴァンシュタイン城の見学 ★

★城の入場券は、城の麓のシュバンガウのチケットセンターで購入。

★見学は団体以外はグループごとにガイドがついて部屋をめぐる方式で、グループはドイツ語、英語、その他(各国語のアナンス装置を各自持つ)にわかれており、チケット購入時にグループの番号と出発時間か決まります。FAXなどで事前に予約すると、待ち時間なしに見学できて便利。

★チケットセンターから城の入り口までは馬車やミニバスで行くこともできますが、徒歩で30分ほどなので、天気の良い日は周辺の景観を味わいながらのんびり歩いていくのがオススメ!


ノイシュヴァンシュタイン
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「ノイシュヴァンシュタイン」いう名は、現在ホーエンシュヴァンガウ城のある地にかつてあった「シュヴァンシュタイン城」にちなんで、1890年になってから付けられた名前で、建設当時は「ノイホーエンシュヴァンガウ城」と呼ばれていた。
この城を含むシュヴァンガウという地名は、直訳すると「白鳥の里」の意味であり、この地こそがリヒャルト・ワーグナーの歌劇ローエングリンで有名な白鳥伝説ゆかりの地だった。「ノイ (Neu)」は「新しい」の意味で、ノイシュヴァンシュタインは、「新白鳥城」という意味となる。

▲絵はがきコレクションより、美しい紅葉と冬景色のノイシュヴァンシュタイン城。
ホーエンシュヴァンガウ城

ルートヴィッヒ2世の生まれ育ったホーエンシュヴァンガウ城。
ノイシュヴァンシュタイン城の完成予想画
←クリスティアーン・ヤンクの描いたノイシュヴァンシュタイン上の計画図







↓まだ工事中のノイシュヴァンシュタイン城 
(1886年)

 まず、1969~73年に入り口付近の城門館が建てられ、その後、本丸の王の館の建築を集中して行なった。1883年頃にほぼ完成し、84年春には4階の王の住居に入居可能になった。
 城の建築には膨大な量の資材が使用されたが、それらは馬車や牛車で運ばれてきて、建設現場まで蒸気クレーンで引き上げられた。
 
工事中のノイシュヴァンシュタイン城
1890年頃
ルートヴィッヒ2世の絵画

馬に乗るルートヴィヒ2世


▼バルコニーからの眺め。
正面のアルプ湖の右手前の方に
ホーエンシュヴァンガウ城がある。

城の入り口
マリエン橋

▲ノイシュヴァンシュタイン城の全景がきれいに見えるため、ほとんどの観光客が訪れる「マリエン橋」。ここから2時間歩くと山頂に到着し、城を眼下に見下ろす素晴しい景色が堪能できる。
バルコニーからの眺め
バイエルンののどかな景色
    のどかで美しい景観が続くノイシュヴァンシュタイン城への道の途中
現地オプショナルツアー情報
    

←ドイツのページにミュンヘン発、フランクフルト発のツアーあり。(日帰りコース、1泊2日コースなど)