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  そして、ホーエンシュバンガウ城を築いたマクシミリアン2世、そして世界的に有名なノイシュヴァンシュタイン城を生み出したルートヴィッヒ2世と建築好きの王が続きましたが、第1次世界大戦後、ルートヴィッヒ3世の時代にバイエルン王国は終焉を迎えます。

 ミュンヘンは、ナチズムの初期の拠点となり、ヒトラーらによるミュンヘン一揆・ミュンヘン行進やミュンヘン会談の場所ともなり、戦争の渦に巻き込まれていくことになります。第2次世界大戦では壊滅的な被害を受けましたが、戦後、街並みはまた美しく蘇りました。
 そして、札幌で冬季オリンピク行なわれた1972年、ミュンヘンでは夏季オリンピックが開催されました。

  人口130万人のドイツ第3の大都市ながら、どこか長閑な雰囲気漂うミュンヘンは、昔から「ドイツ最大の村」と言われる不思議な魅力を持った街。 現在は観光の拠点として世界中の多くの人々が訪れるほか、ビールの産地として世界的に名高く、毎年開催されれるビールの祭典「オクトバーフェスト」には、世界から数百万人の観光客が集まってきます。
 また、今年2006年、ドイツでサッカーのワールドカップが開催されましたが、開幕戦のドイツ戦が行なわれたのは、ここミュンヘンでした。世界中の人々の注目を集め、熱狂を生み出したことは記憶に新しいところです。

 
バイエルン州立オペラ劇場
マックス・ヨーゼフ広場に建つ「バイエルン州立オペラ劇場」。広場の中央の銅像はマクシミリアン1世ヨーゼフ王。このオペラ劇場の隣にはレジデンツが建っている。


 街の歴史の始まりは、10世紀頃に始まります。そのころ、このあたりはまだ鬱蒼とした森に覆われていましたが、イザール川の岸に僧院ができました。「ミュンヘン」という街の名は、「僧(ミュンヒ)のいる所」という意味からきています。この僧院は、イザール渓谷にかかる橋を所有し、橋を渡る商人から通行料を徴収していました。ミュンヘンはザルツブルク周辺で摂れた「塩」の主要な交易ルート上にあり、イタリアとの通商路も南北に通っていたため、この通行料は僧院の重要な財源になっていました。
 この橋に目をつけたのが、ハインリッヒ獅子王でした。1158年、ハインリッヒは交通の要となっているこの橋を破壊。そして、自ら新たな橋を建造し、僧院には分け前を与えて、通行料を取り立て始めたのでした。この通行料の取立てと貨幣の鋳造、市場を開く権利を帝国議会で認められたことが、ミュンヘン市の発祥とされています。獅子王が強引な手段でお金を集めたのは、皇帝フリードリッヒ1世(赤髭王)と対抗するためでもありましたが、あまりにも強引なハインリッヒ獅子王は、諸侯の反発も受けて、フリードリッヒに敗北。1180年、追放処分になり、イギリスに逃亡しています。

☆ヴィッテルスバッハ家の支配により商業や芸術が発展
 かわってバイエルン大公に任命されたのが、ヴィッテルスバッハ家のオットーでした。この後、ヴィッテルスバッハ家は20世紀までバイエルンを支配することになります。ミュンヘンは、1255年より大公領の宮廷が置かれ、バイエルン地方の中心都市として急速に発展します。1328年からは、神聖ローマ帝国のルートヴィッヒ4世がバイエルンを統治し、ミュンヘンはその帝都となります。
 その後も、ミュンヘンは塩の交易都市として栄え、ミュンヘンに入る通行料や租税収入はかなりなものになり、ミュンヘンは都市として大きな発展を遂げました。16世紀には豪華な王宮レジデンツが建築が始まり、17世紀には夏の離宮としてニュンフェンブルク城も造られるなど、ヴィッテルスバッハ家のお膝元として文化や芸術が花開きました。17世紀にはドイツでは「三十年戦争」が起き、ミュンヘンはスウェーデン王グスタフ・アドルフの率いる最強の軍隊に包囲されますが、何とか難を逃れます。
 そして1800年にはフランス軍によって占領されますが、ナポレオン側についたため、1806年にバイエルンは神聖ローマ帝国の支配を離れ、公国から王国へと昇格を果たします。初代皇帝となったマクシミリアン1世ヨーゼフは、ナポレオンのロシア遠征に3万の大軍を送りますが、惨憺たる敗北を喫してバイエルンの兵隊はわずか5千しか帰還しませんでした。しかし、ナポレオンが落ち目になるや反ナポレオン同盟に加わり、王国はその後も安泰でした。
 

☆イタリアバロックの影響を受けた 壮麗で美しい街並みの完成
 そして、続くルートヴィッヒ1世の下で、ミュンヘンはヨーロッパでも有数の近代都市へと発展しました。人文主義的な君主だったルートヴィッヒ1世は、ミュンヘンを「北のアテネ」にすることを目指し、イタリアなどから建築家を招聘するなどして、ミュンヘンを文化的な美しい都市へと造り上げました。
 ミュンヘンの街の特徴は、中世的な旧市街の残る他のドイツの諸都市とは異なり、イタリアのバロックの影響を受けた壮麗な建物が多いことです。レジデンツを完成させたほか、将軍堂アルテ・ピナゴーグ、ルートヴィッヒ通りを始めとする道や広場など、現在のミュンヘンの大部分はこの時代に整備されました。 
 どらまちっく・ひすとりー 旅とともに…
マリエン広場と聖母教会