19世紀になってからは、「音楽の都」として世界に知られるようになります。1841年に「国際モーツァルテム財団」が設立され、モーツァルトの誕生日1月27日をはさんで、モーツァルト週間という音楽の祭典が開催されていました。1920年からは、それを発展させた「ザルツブルク音楽祭」がスタート。世界的に有名な音楽フェスティバルとして今日まで続いており、毎年7月末〜8月末の5週間、祝祭劇場を始め街中でオペラやコンサートが催され、街中が音楽一色に染まります。
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ザルツブルクとは「塩の城」という意味で、街に流れる川はザルツァッハ川(塩の川)と言います。この地域ははるか紀元前の先住民の時代から「塩」の採掘が行なわれて、地名もそれに由来しているのです。紀元前800年ごろにはケルト人も塩の採掘も行なっていましたが、ザルツァッハ川を使って、ローマをはじめヨーロッパ各地に塩を出荷していたそうです。
そして、ローマ帝国時代には、要塞都市ユヴァヴムが築かれ、塩の集積地として栄えました。ローマ人は5世紀もの間、ここに住み続けていたそうですが、ローマ帝国が崩壊するとしばらくは廃墟と化してしまいました。
しかし、7世紀の末ごろに、ルーペルトという司教がこの廃墟にザンクトペーター修道院を建設。その際に、この街に「ザルツァハブルク」、短縮して「ザルツブルク」という名が付けられました。それが、今日のザルツブルクの起源です。
そして9世紀には、このザルツブルクに大司教座が置かれ、1077年には街を見下ろす丘の上にホーエンザルツブルクの城塞が建設が始まりました。当時のヨーロッパのキリスト教社会では、大司教というのは一国の領主に匹敵する権力と富を有する存在であり、ザルツブルクの街も歴代の大司教のお膝元として、貿易拠点や文化の中心として大いに繁栄しました。
17世紀のバロック期には、その富と権力を反映して建築が盛んに行なわれましたが、大司教の領地だけにローマ教会とのつながりや影響が強く、「北のローマ」を目指して次々にイタリア風の壮大な大聖堂や宮殿が建てられていったのです。その時代に、現在のザルツブルクの街並みがほぼ出来上がりました。そして、そんなザルツブルクの繁栄の円熟期にこの街に誕生したのが、天才音楽家モーツァルトでした。
その後、ザルツブルクはナポレオン軍によって占領され、大司教の座を廃されることになります。一時期、バイエルンに併合された後、ウィーン会議の結果、オーストリア領となり、今日に至っています。
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