アービング
 アーヴィング
グラナダMAP
アルハンブラよりネバダ山脈
Gent
タロ川付近の街並み
↑ダロ川と街並み

 グラナダは、ヘルニ川流域の肥沃な盆地にネバダ山脈の山々をバックに築かれた街です。都市として歴史に初めて登場するのは、紀元前5世紀頃、イベリア半島がローマ帝国支配下にあった時代で、この頃、グラナダは「イリベリス」と呼ばれていました。
 それから千年近く時が流れて、5世紀にイベリア半島には西ゴート族が侵入し、「西ゴート王国」を建設。しかし、711年、イベリア半島は「ウマイヤ朝」のイスラム帝国に征服され、グラナダはコルドバから派遣される副王に治められるようになりました。グラナダは、それから750年以上もイスラム教徒の支配を受けることになります。

 そして750年、ウマイヤ朝がアッバース朝に倒されると、イベリア半島には「後ウマイヤ朝」が建国されますが、イベリア半島北部に勃興したキリスト教国のレコンキスタ(国土回復運動)により次第に圧迫され、1031年に滅亡。 続いて、グラナダを含むイベリア半島南部を支配したのは、北アフリカに本拠地を持つベルベル人よる「ムラービド・ムワッヒド両イスラム王朝」でした。1212年、「ムワッヒド朝」がキリスト教諸国の連合軍に敗れると、イベリア半島南部はイスラム王朝の群雄割拠の時代となります。
 
 1235年、ムハンマド・イブン・ユースフ・イブン・ナスルがグラナダを拠点にに「ナスル朝グラナダ王国」を建国。グラナダはイベリア半島における最後のイスラム教徒の拠点となりますが、この時代にグラナダは大いに繁栄し、文化を花開かせたのでした。世界遺産としても知られるアルハンブラ宮殿は、ナスル朝時代に建てられたもので、当時のイスラム建築の最高傑作です。
 しかし、1492年、カスティーリアのイサベル女王とアラゴンのフェルナンド王の結婚により統一国家となったスペイン王国によって、長い間続いたレコンキスタがついに完了。グラナダが陥落し、ナスル朝は滅亡しました。グラナダは、781年ぶりにイスラムからキリスト教徒の街に戻ったのです。

 その後もしばらく、グラナダはスペイン王国の1つの街として栄えましたが、1569年イスラム教徒の反乱が起き、それが厳しく弾圧された後は衰退の道をたどりました。『アルハンブラ物語』の作者であるアメリカ人ワシントン・アーヴィングが1826年にグラナダの街を訪れた時、アルハンブラは半ば廃墟のような状態であったそうです。
 しかし、『アルハンブラ物語』の発表がされると、グラナダは世界中の人々の憧れの地となると同時に、アルハンブラ救済の声が湧き上がりました。そうして、大規模な修復が行なわれ、アルハンブラ宮殿は今日のような優美な姿を取り戻したのです。
 現在、グラナダにはスペイン観光のハイライトであるアルハンブラ宮殿を目当てに世界中から観光客が集まってきますが、イスラム文化の香りの漂うエキゾチックな街として訪れる人々を魅了し続けています。
  

アルハンブラの全景
イサベル女王とコロンブスの像
←イサベル・ラ・カトリカ広場に建つイサベル女王とコロンブスの像









→狭い道の両側にお土産物屋やレストランの立ち並ぶアルカイセリヤ界隈。カテドラルの近く。
アルカセイア
カテドラル周辺の夜の風景