アニェス・ソレル(Agnes Sorel)は、15世紀のヴァロア朝の国王シャルル7世の愛妾で、フランス初の公式寵妃といわれる女性―。 その麗しい美貌は、「Dame
de Beaute (美しの貴婦人)」と讃えられ、それまで男性にのみが使っていたダイヤモンドを女性として初めて身につけた人物だとも言われている。また、その死も謎に包まれた伝説の美女。
時は英仏百年戦争の後半、劣勢のフランスは領土の多くをイギリスに占領されていた。しかし、危機一髪のところで、神のお告げを受けたジャンヌ・ダルクが出現。彼女の導きで、フランス軍はオルレアンの包囲を破り、奇跡的な勝利を収めた。そして、1429年に正式にフランスの王位についたのがシャルル7世である。
アニェスはそれより少し前の1422年、フロントの町で生またとされてるが、出仕ははっきりしない。シャルル7世はまさにアニェスの生まれた年にアンジュー家のマリーと結婚し、後に王位を継ぐルイほか10人以上の子供にも恵まれた。しかし、シャルルは40歳ごろに22歳のアニェスに出会うや、その妖艶な美しさの虜になり、すっかり魂を抜かれてしまった。
やがて2人の仲は王妃マリー・ターンジュにも知られるところとなったが、王妃はアニェスの美しさには叶わないと悟ったのか、騒ぎ立てることもなく夫の愛妾の存在を認め、心の広い王妃を演じた。こうしてフランスで初めて、公式に認められた国王の寵姫という存在が誕生したのだった。
アニェスは国王の寵愛を受け続けて4人の王女を出産し、美しい館を与えられた。そして、ダイヤモンドなどのきらびやかな宝石を王に贈られ、美しい彼女がますます輝いた。アニェスは最初にダイヤを身につけた女性とされているが、男性が女性にダイヤを贈る習慣はここから生まれたのかもしれない、、。
王の寵愛で宮廷での地位は確固たるものだったが、アニェスは美しいだけでなく賢さもあったという。苦境を乗り越えフランスの領土からイングランドを追い出すことに成功したシャルル7世は「勝利王」と呼ばれるが、その陰には国王を奮起させ、的確な助言をしたアニェスの支えも大きな役割を果たしたのだった。
しかし、「美人薄命」の宿命なのか、アニェスは28歳の時に非業の死を遂げる。4人目の子供の産褥に苦しみ、王女を産み落とすと息途絶えた。その突然の不可解な死には、シャルル7世と対立していた王太子ルイ(後のルイ11世)による毒殺の噂が囁かれた。ルイは父親のシャルル7世とは事あるごとに対立し、諍いが絶えなかった。王太子ルイはアニェスと年齢も近かったが、父の愛人を毛嫌いしていたという。(言い寄ったものの相手にされず、逆恨みだったという説もある、、、) 真偽はともかくとして、アニェスが食した川鱒を調理した料理人が即刻処刑され事実はうやむやのまま、アニェスは伝説の女性となった。
その後、アニェス・ソレルとシャルル7世の間の長女のシャルロットは、名門貴族のモールヴリエ伯ジャック・ド・ブレゼと結婚し、その息子のルイがアンリ2世の寵姫ディアーヌ・ド・ポワティエと結婚した。ルイ・ドブレゼははアニェスの孫に当たるが、残念ながら美男とはいえず、体型もずんぐりしていたとか、、!?
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