女奴隷の身分からスルタンの正式な妻の座へ ヒュッレム・スルタン

こと
ヒュッレム・スルタン
時は16世紀、広大な領土を有し、ヨーロッパ諸国を震撼させた最盛期のオスマン帝国。その最盛期に君臨した偉大なスルタン スレイマン大帝の寵愛を受け、 後宮の女奴隷の身分からスルタンの正式な妻の座へと登り詰めたのがヒュッレム・スルタン (150? ~1557)。「ロシア人の女」という意味の「ロクセラーナ」という通称でも親しまれています。ウクライナの寒村から身体一つで栄光をつかんだ したたかなロクセラーナの愛と憎しみの物語です。
 世界史美女図鑑 
 タタールの盗賊にさらわれる! 

 1510年、後にオスマン帝国の后妃となるヒュッレムはロシア南部のウクライナのルテニア地方の寒村に生まれました。父親はギリシア正教会の司教をしていたと言われています。アレクサンドラの生地ルテニアは、ウクライナ西部のカルパチア山脈の辺りを指しますが、当時のウクライナはポーランドとリトアニア公国に分割され、人々は細々と農業を行ない、その生活は貧しいものでした。
 ヒュッレムの元の名ははっきりしていませんでしたが、19世紀のウクライナの言い伝えでは「アナスタシア」という名前だと記され、別のポーランドの言い伝えでは「アレクサンドラ・リソフスカ」とされているそうです。

 そのアレクサンドラが15歳の頃、突然の運命が訪れました。村がタタールの盗賊に襲われ、連れさられてしまったのでした。当時、地中海周辺では盗賊や海賊によって町や村が襲われ、多くの者たちが奴隷として売買されていました。アレクサンドラは、同じような境遇の多くの者たちとともに、黒海に浮かぶクリミア半島の東南の街カッファの港から船でイスタンブールへと連れていかれました。
 奴隷市場では様々な地域から連れてこられた女奴隷が売買されていましたが、その中でも美しい赤毛と陶器のような白い肌が目を引くアレクサンドラは際立った存在でした。細く高い鼻梁は気品を漂わせ、小さく引きしまった唇は愛らしさと気性の激しさを同時に感じさせ、魅惑的な面差しをしていました。
 奴隷市場では売りに出された女奴隷たちが纏っていた布をはがされ、一人ひとり競りにかけられます。客たちは裸体をチェックし、値踏みをするのです。
 アレクサンドラを高値で買い取ったのは、「イブラヒム」という名の身なりの良い男でした。高貴な雰囲気を漂わせたこのイブラヒムという男によって、アレクサンドラの新しい未来が拓けていくことになったのです。



▲▼19世紀に活躍したフランス人画家ジャン=レオン・ジェロームの奴隷市場を題材にした作品。ジェロームは東方を題材にした歴史的な風俗画を得意とし、奴隷市場やハーレムなどを数多く描いた。上下どちらが実際のイメージに近いのか!?
スルタンの側近・イブラヒムの元へ★








イエニチェリ





若き日のスレイマン1世


 この「イブラヒム」というタダならぬ雰囲気を醸し出した凛々しい顔立ちの男は、時のスルタン「スレイマン1世」の側近中の側近、宮廷の実力者でした。
 イブラヒムはトルコ人ではなく、ギリシア北西部のイオニア海に面したエペイロス地方の生まれとされています。その頃のイブラヒムの名前はわかっていませんが、幼い頃から賢くて思慮深く、丈夫な身体を持ち、性格も明るく、誰からも愛される少年でした。しかし、14歳の頃、浜辺で本を読んでいた時に忽然と姿を消したとされてます。いつまでたっても行方は知れず、当時、エーゲ海を荒らしていた海賊船にさらわれたのではないかということになりました。
 イブラヒムはエーゲ海沿岸のイズミール近くのマニサという町に住む裕福な未亡人の家に売られていました。突然の不運に見舞われたイブラヒムでしたが、それでもまだ彼は幸運でした。この家で使用人というより話し相手のような扱いを受け、優しい未亡人からトルコ語を教わり、本当の子供のように大事にされたからでした。そして、言葉だけでなく礼儀作法なども身につけたイブラヒムは、非の打ちどころのない立派な青年へと成長していきました。

 しかし、そこはイブラヒムの安住の地ではありませんでした。オスマン帝国には、領内のキリスト教徒の師弟の中から優れた青年を選抜して強制的に徴集する「デウシルメ」という制度があり、イブラヒムのようなすべての面に秀でた青年がこの制度の網にかからないわけがなかったのです。
 徴集された青年たちはイスラム教に改宗させられた上で、徹底した訓練を受け、その後は「イエニチェリ」と呼ばれるスルタン直属の近衛歩兵軍団に配属されました。彼らの身分は「クル」と呼ばれる宮廷奴隷で、スルタンへの無条件の服従が義務付けられました。彼らは自由な身分ではありませんでしたが、奴隷とも違っていました。クルの一員になれば出自は問わず、本人の能力しだいで出世することができたのですが、それにはスルタンから信用と寵愛を得ることが何よりでした。

 クルの中でも優秀だったイブラヒムは、当時カッファの総督を務めていた皇太子スレイマンの側近に抜擢されました。当時15歳だったスレイマンは、たちまち1歳年長のイブラヒムの人柄と博識ぶりに魅せられ、深い信頼を寄せるようになりました。イブラヒムはスレイマンの臣下(奴隷)であると同時に、親友であり、兄のような存在でもありました。また、イブラヒムは武将としても優れていると同時に、数ヶ国語を操る外交官としても有能で、年を経るにつれスレイマンの右腕として存在感を増していきました。

 スレイマンが26歳になった時、父のセリム1世が他界。スレイマンがスルタンの地位に就くことによって、イブラヒムのオスマン宮廷での地位は確固たるものになりました。
 とはいっても、すべては偉大なるスルタンの思し召し次第。宮廷内には若いイブラヒムの出世を内心では快く思っていない人々があふれており、いつ何時足元を救われるかわかりません。ますますスルタンへの忠勤に励むようになったイブラヒムは、スルタンへ贈り物を献上することを思いつきます。そして、迷ったあげくにイブラヒムが選んだ贈り物が、とびきり美しい女奴隷でした。
 そして、奴隷市場に直接出向き、スレイマンのお眼鏡に叶うこと間違いなしと自分の目で確かめて選んだのが、ウクライナからやってきたアレクサンドラだったのです。
 

未来を切り拓くオダリスク修行 ★

 イブラヒムの屋敷で暮らすようになったアレクサンドラは、セリム1世の寵愛を受けた後にさる高官に降嫁したという過去を持つ中年の貴婦人により、オダリスク教育を受けました。オダリスクとは、「君主の居室」を意味するトルコ語ハス・オダルク(Has Odalık)から訛った言葉で、宮廷のハレームに住まう女性たちのことを指します。
 まずはトルコ語の習得からですが、聡明で勘の良いアレクサンドラは驚くほどの早さで言葉を覚え、読み書きも上達しました。日常会話に加え、宮廷用語をマスターし、上品な言葉遣いや行儀作法なども身につけ、またたくまに優雅で気品のあふれたレディに変身しました。

 前向きで向上心の強い性格だったアレクサンドラは、タタール人にさらわれたことをもはや怨むことなく、これを自分の運命だと受け入れていました。生まれてから貧しい生活しか知らなかったアレクサンドラにとって、イブラヒム邸での生活は贅沢で夢のようであると同時に、上品な紳士・イブラヒムに保護されているという安心感もありました。しかし、彼女には近いうちにここを離れてスルタンのハーレムへ行かねばならない運命が待っていました。勝気で野心家でもあったアレクサンドラは、今は求められるまま自分を磨くことで自分の道を切り拓いていくしかないということを理解し、一生懸命それに努めたのでした。

 1か月ほどの修行を終えたアレクサンドラに対面したイブラヒムは、
優美に洗練されたアレクサンドラに大変満足し、彼女に「陽気な」などの意味を持つ「ヒュッレム」の名を与えました。ヒュッレムの美点の一つはその美しい声にあり、彼女の発する言葉は相手の心を和ませ、明るく陽気な気分にさせる不思議な魅力を持っていたのです。
 そうして、いよいよスルタンの待つハーレムという世界に挑んでいく、ヒュッレムにとって人生の新たな転機となる日が近づいてきたのでした。



若き日のフッレム

若き日のフッレムとされる肖像画



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