初期ネーデルランド絵画の画家ハンス・メムリンクの最高傑作のひとつ。碑文も署名は残されていないものの、聖ヨハネ施療院のためにメムリンクが制作したものとされています。
 描かれているのは、中世に好まれていた『聖ウルスラの伝承』。この伝説は、5世紀の英国王の娘である聖ウルスラが、1万1000人の処女を引き連れてローマに巡礼した帰路、ドイツのケルンでフン族の襲撃に遭い、殉教したというものです。

  聖遺物箱には表面・裏面にローマ巡礼の様子が6枚の連作で描かれており、そのうち4枚を下にご紹介しましたが、小さい絵にも関わらず非常に緻密で写実的に描かれています。

聖ウルスラの聖遺物箱

※写真にカーソルを合わせると、聖遺物箱の裏面になります

「ケルン上陸」 「バーセル帰還」 「ケルンでの襲撃」 「聖ウルスラの殉教」
ケルンへの上陸 バーゼル帰還 ケルンでの襲撃 聖ウルスラの殉教
聖遺物箱の前後

←聖遺物箱の前後側面に
描かれた「聖母マリア」と
「聖ウルスラ」

聖ウルスラ崇拝は伝説の舞台となったケルン地方のだけでなく、ライン地方、ネーデルランド、ヴェネツィアなどでも信仰を集めたそうです。
 また、「聖ウルスラ」は毛織物業者の守護聖人とされるほか、頭痛の治癒を助けたり、幸福な死の仲介者ともされていました。毛織物で栄えたフランドルの街ブルージュで、親しみをもって讃えられていたことがこの聖遺物箱の絵画から偲ばれます。

 



★ベルギー7大秘宝の一つ★

ハンス・メムリンク作 /メムリンク美術館 (ブルージュ)
「聖ウルスラの聖遺物箱」