フランソワ1世の回廊 | 絵皿の回廊 | |||||
★宮殿の各棟をつなぐために作られた建物の中にあり、フランソワ1世がイタリア人芸術家にイタリアルネサンス風の豪華な装飾を施させた回廊。 詳細ページはこちら |
★元々はテラスであった場所だが、18世紀のルイ・フィリップの時代に改装されて通り抜けられる回廊となった。ルネサンス様式の板張りに、フォンテーヌブローの食器セットとして有名なセーブル陶器の128枚がはめこまれている。 |
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ディアナの回廊 | 三位一体礼拝堂 | |||||
★元々はアンリ4世の時代に王妃のために作られた部屋で、ディアナの神話と国王の戦勝を題材とした装飾がなされた長さ80m、幅7mの回廊。 その後、ナポレオン1世が修復し、王政復古後にナポレオン3世が図書室に改造した。ナポレオン1世の蔵書約1万6千冊が所蔵されている。 |
★元々は聖王ルイが建てた礼拝堂を三位一体修道会が引き継いだものであり、装飾の主な部分はアンリ4世とルイ13世の時代のものである。宗教をテーマとした天井画も見事。 |
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舞踏会の広間 | ルイ13世の間 | |||||
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★フランソワ1世の時代に着工された長さ30m、幅10mの広間で、代々の王がここで華やかな祝宴や祭典が催した。 フレスコ画による柱の装飾やイタリア様式の格間天井が豪華で優美。大型のガラス窓が10個あり、北側は宮殿最古の「楕円形の中庭」に面し、南側は大花壇に面している。 |
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会議の間 | 玉座の間 | |||||
★フランソワ1世の時代からあった部屋だが、18世紀に壁や天井が煌びやかに改装され、ルイ15世の時代から会議に使用される部屋となった。 家具調度品は、ナポレオン1世のために19世紀の初めに発注されたもの。 |
★元々は国王の寝室であったが、1808年にナポレオン1世が「玉座の間」に改装し、毎週日曜日にこの部屋で推薦の儀式や宣誓の儀式が行なわれた。金箔の装飾の施された部屋は豪華で、側面にはルイ13世の肖像画が架けられている。 肘掛け椅子と上部飾り、2本の旗標などで構成された玉座一式は、ジャコブ・デマルデの作でナポレオンの頭文字「N」のマークが見える。 |
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皇帝の寝室 | 皇后の寝室 | |||||
★1808年にナポレオンがこの部屋を寝室とし、それ以降、1870年まで歴代君主の寝室として使用された。落ち着きを感じさせる部屋だか、金箔を使った装飾やシャンデリアは煌びやか。寝台や壁の装飾には「N」の文字が見られる。 | ★16世紀末から1870年までの歴代の王妃や皇后の寝室として使用された部屋。 ルイ14世の王妃アンヌ・ドートリッシュや悲劇の王妃マリー・アントワネット、ナポレオンの妻ジョセフィーヌ、最後の皇帝ナポレオン3世の皇后ウージェニーなどの面影が偲ばれる。 |
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皇帝の小寝室 | 皇帝の私室 | |||||
★ナポレオンが執務室として使用した部屋。多忙なナポレオンはこの執務室の中で多くの時間を過ごして生活をしたため、1811年天蓋付きの寝台が置かれた。時にはガウンを羽織り、私人として気ままな時間を過ごした。 |
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★現地オプショナルツアー情報 ↑フォンテーヌブロー観光ほか、バルビゾン、ロワール古城めぐりなど |
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●白馬の中庭 ↓ この中庭の名は、ローマの皇帝 マルクス・アウレリウスの騎馬像 がかつて置かれていたことに由 来しており、現在は宮殿の入り口 となっている。 この中庭の「馬蹄形の階段」 (左写真)の下で、1814年にナポ レオンの旅立ちの儀式が行なわ れたことから、「別れの中庭」とも 呼ばれている。 |
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←中央の四角形の「白馬の中庭」を中心に構成されたフォンテーヌブロー宮殿」。 宮殿各部をクリックすると、主な見所の画像が開く。 ▼白馬の中庭への入り口には、ナポレオン時代につくられた鍛鉄の格子門 |
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▼ルイ15世の翼館 馬蹄形の階段から見た「ルイ15世の翼館」。現在は「ナポレオン1世博物館」となっている。白馬の中庭をはさんだ向かい側は「フランソワ1世の翼館」。 |
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ディアナの庭園 |
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●鯉の池 ↑ アンリ4世がロレーヌ公からの贈られた鯉60匹をこの池に放したこと |
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サイクリングにも最適なフォンテーヌブローの森 |
フランス屈指の広さと美しさを誇り、フランスを支配した歴代の王たちが最も愛した「フォンテーヌブロー宮殿」。11世紀以来、王家の狩猟場として愛されたフォンテーヌブローの森に、16世紀前半、フランス初の本格的なルネサンス様式の豪華な宮殿を建築したのはフランソワ1世でした。 |
↑フォンテーヌブローへの半日観光 |