フランソワ1世の回廊 絵皿の回廊
フランソワ1世の回廊
宮殿の各棟をつなぐために作られた建物の中にあり、フランソワ1世がイタリア人芸術家にイタリアルネサンス風の豪華な装飾を施させた回廊。 

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絵皿の回廊 絵皿の回廊

元々はテラスであった場所だが、18世紀のルイ・フィリップの時代に改装されて通り抜けられる回廊となった。ルネサンス様式の板張りに、フォンテーヌブローの食器セットとして有名なセーブル陶器の128枚がはめこまれている。
ディアナの回廊 三位一体礼拝堂
ディアナの回廊 元々はアンリ4世の時代に王妃のために作られた部屋で、ディアナの神話と国王の戦勝を題材とした装飾がなされた長さ80m、幅7mの回廊。
その後、ナポレオン1世が修復し、王政復古後にナポレオン3世が図書室に改造した。ナポレオン1世の蔵書約1万6千冊が所蔵されている。

元々は聖王ルイが建てた礼拝堂を三位一体修道会が引き継いだものであり、装飾の主な部分はアンリ4世とルイ13世の時代のものである。宗教をテーマとした天井画も見事。
 
国王と王妃は、階上席で毎日の日課としてミサに参加した。また、この礼拝堂で、ルイ5世の結婚式(1725 年)やナポレオン3世の洗礼式(1810年)などが行なわれた。



舞踏会の広間 ルイ13世の間
舞踏会の広間

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フランソワ1世の時代に着工された長さ30m、幅10mの広間で、代々の王がここで華やかな祝宴や祭典が催した。
 フレスコ画による柱の装飾やイタリア様式の格間天井が豪華で優美。大型のガラス窓が10個あり、北側は宮殿最古の「楕円形の中庭」に面し、南側は大花壇に面している。
ルイ13世の間

1601年、この部屋で後のルイ13世となる王子が誕生した。父のアンリ4世はそれを記念してこの部屋を豪華に改装した。その後、しばらく、この部屋は主に公務や謁見のために使用されていた。
 家具や調度は、17世紀のものと19世紀のもので、サロンとして使用されていた第二帝政時代から置かれている。

会議の間 玉座の間
会議の間 フランソワ1世の時代からあった部屋だが、18世紀に壁や天井が煌びやかに改装され、ルイ15世の時代から会議に使用される部屋となった。
 家具調度品は、ナポレオン1世のために19世紀の初めに発注されたもの。
玉座の間 元々は国王の寝室であったが、1808年にナポレオン1世が「玉座の間」に改装し、毎週日曜日にこの部屋で推薦の儀式や宣誓の儀式が行なわれた。金箔の装飾の施された部屋は豪華で、側面にはルイ13世の肖像画が架けられている。
肘掛け椅子と上部飾り、2本の旗標などで構成された玉座一式は、ジャコブ・デマルデの作でナポレオンの頭文字「N」のマークが見える。
皇帝の寝室 皇后の寝室
皇帝の寝室 1808年にナポレオンがこの部屋を寝室とし、それ以降、1870年まで歴代君主の寝室として使用された。落ち着きを感じさせる部屋だか、金箔を使った装飾やシャンデリアは煌びやか。寝台や壁の装飾には「N」の文字が見られる。       皇后の寝室
16世紀末から1870年までの歴代の王妃や皇后の寝室として使用された部屋。
ルイ14世の王妃アンヌ・ドートリッシュや悲劇の王妃マリー・アントワネット、ナポレオンの妻ジョセフィーヌ、最後の皇帝ナポレオン3世の皇后ウージェニーなどの面影が偲ばれる。
皇帝の小寝室 皇帝の私室
皇帝の小寝室 ナポレオンが執務室として使用した部屋。多忙なナポレオンはこの執務室の中で多くの時間を過ごして生活をしたため、1811年天蓋付きの寝台が置かれた。時にはガウンを羽織り、私人として気ままな時間を過ごした。 皇帝の私室

1814年4月6日にナポレオンが退位の意思を固めたと言われることから「退位の間」と呼ばれる。
 壁布と同じ赤いブロケード織りの布地を使用した金箔張りの木製椅子などの調度品は、ナポレオンが皇帝として住んでいた当時のもの。

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↑フォンテーヌブロー観光ほか、バルビゾン、ロワール古城めぐりなど
フォンテーヌブロー宮殿
馬蹄形の階段 白馬の中庭 

この中庭の名は、ローマの皇帝
マルクス・アウレリウスの騎馬像
がかつて置かれていたことに由
来しており、現在は宮殿の入り口
となっている。
 この中庭の「馬蹄形の階段
(左写真)の下で、1814年にナポ
レオンの旅立ちの儀式が行なわ
れたことから、「別れの中庭」とも
呼ばれている。
 
白馬の中庭
フォンテーヌブロー宮殿 全景
中央の四角形の「白馬の中庭」を中心に構成されたフォンテーヌブロー宮殿」。

宮殿各部をクリックすると、主な見所の画像が開く。




▼白馬の中庭への入り口には、ナポレオン時代につくられた鍛鉄の格子門

▼ルイ15世の翼館 
馬蹄形の階段から見た「ルイ15世の翼館」。現在は
「ナポレオン1世博物館」となっている。白馬の中庭をはさんだ向かい側は「フランソワ1世の翼館」
宮殿入り口



ディアナの庭園
鯉の池とパヴィオン 鯉の池

●鯉の池 ↑ アンリ4世がロレーヌ公からの贈られた鯉60匹をこの池に放したこと
から名づけられた。16世紀からこの池では祝祭が行なわれるようになり、水上槍試合
や花火大会が開催された。池の真ん中にある六角形のパヴィオン(あずまや)は、ルイ
14世時代に造られたもので、ここに王や王族の夜食が用意されたという。

フォンテーヌブローの森
サイクリングにも最適なフォンテーヌブローの森
フォンテーヌブロー宮殿

 フランス屈指の広さと美しさを誇り、フランスを支配した歴代の王たちが最も愛した「フォンテーヌブロー宮殿」。11世紀以来、王家の狩猟場として愛されたフォンテーヌブローの森に、16世紀前半、フランス初の本格的なルネサンス様式の豪華な宮殿を建築したのはフランソワ1世でした。
 フランソワ1世といえば、晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチを招聘し保護したことでよく知られており、フランス最初のルネサンス君主とされている人物です。
 フランソワ1世はイタリア制覇の野望を持ち続け、何度も繰り返されたイタリア遠征で、本場イタリアのルネサンス芸術に魅了されました。そこで、フランス王家の威信をかけて建築を実施したのが、このフォンテーヌブローの宮殿です。フランソワ1世のイタリア制覇の夢は叶いませんでしたが、この新宮殿はまさに王の夢の集大成となりました。
 フランソワ1世は、宮殿建築のためにイタリアから多くの芸術家を招きました。彼らの高い芸術性が十分に発揮され、宮殿にはフランスの宮廷文化に溶け込んだ優美で洗練された装飾が施されました。王の名のついた「フランソワ1世の回廊」や祝宴と祭典のための広間である「舞踏会の広間」はこの時代のもので、そのルネサンスの香りの漂う見事な装飾は宮殿の見所の一つとなっています。
 その後も、この地を愛した歴代の王たちによって様々な拡張が施され、「ディアナの回廊」「絵皿の回廊」など、優美ながらくつろぎのある空間が演出されています。

 この宮殿の歴史は、フランス革命を経て19世紀のナポレオン3世の時代まで続きますが、その中で大きな足跡を残したのが、フランスの生んだ英雄ナポレオンでした。フランス革命後の混乱期に英雄となり、皇帝にまで登りつめたナポレオン1世もまた、緑に囲まれたこのフォンテーヌブローの宮殿を愛し、好んでよく逗留しました。 
 しかし、そんなナポレオンが退位勧告を受けて帝位を剥奪され、流刑地であるエルバ島へと旅立ったのも、この宮殿からでした。彼は、この宮殿の中庭で腹心の部下たちに別れを告げ、彼らの涙の中で無念の旅立ちをしました。フォンテーヌブロー宮殿では、「玉座の間」「退位の間」などのナポレオンゆかりのいくつかの部屋も見所の一つになっているほか、ルイ15世の翼館には「ナポレオン1世博物館」が併設されています。
 
 11世紀からフランス王家の人々に愛されていたフォンテーヌブローの森は、今もパリなどから多くの人が訪れ、人々の憩いの場として人気のスポットになっています。

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↑フォンテーヌブローへの半日観光